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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第五章 父親以上、母親未満

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 天気のいい朝だ。今日も暑くなりそうだ。朝のテレビ番組では、若い女性が笑みを浮かべ、軽快なテンポの音楽をBGMにして天気予報を伝えている。天気は快晴。予想気温、東京は三十度を超えるらしい。無風のようなので、体感温度はもう少しありそうだ。
 須藤一樹は些か襟周りのよれた白いTシャツに短パン姿で、ダイニングキッチンに立っていた。息子の啓吾と自分用の朝食を準備しているところである。須藤は卵焼き用の四角いパンに溶いた卵液を流し込んだ。加熱された鍋底で卵が焼ける音が食欲をそそらせる。冷蔵庫には昨日の残りの和え物がまだある。キスの干物を焼いて、葉野菜と和えたものだ。それとポテトサラダ、そしてエノキダケと長葱の味噌汁。朝食の献立はこれで十分だ。
 こうして須藤は、よほどの事情がない限り、朝はこうして朝食を手作りしている。そして息子と二人で食事をするのだ。二人が顔を合わせて食事が出来るのは朝ぐらいである。だからこそその時間を須藤は大切にしている。出来合いのもので済ますことは極力しないようにしている。母の手料理とまではいかないが、やはり親の手作りの食事で息子を育てたい。仮に多忙さが故に、須藤がまともな食事を作る時間がないことがあっても(決算の時期はそんな日もあったりする)、バナナと牛乳、そして蜂蜜をミキサーのガラス瓶に放り込んでバナナ・スムージーを作るぐらいは出来る。それと買っておいた食パンをトースターで焼くぐらいは片手間でも可能だ。そうやって須藤は息子と会話をしながら食事をする。決して欠かせない親子の大切な時間。幸せな一時なのだ。
 洗面所のほうでは啓吾が顔を洗っている音が聞こえる。須藤は形になってきた卵焼きを菜箸で転がしながら、そちらの方向に視線を送った。そして昨夜のことを思い返す。

 昨日、須藤が帰宅したのは夜九時を過ぎた頃だった。リビングには明かりが点いていて、啓吾はまだ起きていた。途中で止まった漢字の書き取りのノートとプリントを目の前に開いた状態で、啓吾は鉛筆を持ったままじっと座っていた。テレビは消えていて、部屋の中は静まり返っていた。テレビの下にあるラックからゲーム機が取り出された形跡もない。元々、宿題や勉強をリビングでやるなら、テレビは必ず消してやりなさいと言い聞かせている。啓吾は確かに宿題をその場所でやる時はテレビは消している。つまりは、やらない時はテレビは点いている。大抵、宿題をテーブルの上に放り出して、テレビを見たりゲームをしてしまっていることのほうが多いのが実際のところだった。そこで、
「けいちゃん、宿題ちゃんとやった?」
と言われて、「ああっ」と声を上げ、父の書斎兼自分の勉強部屋へ駆け込んで行くのだ。
 その夜は違っていた。啓吾の表情は何処か、心ここにあらずという雰囲気だった。
「ただいま」
 須藤はそう声を掛けると、ネクタイをほどきながら啓吾の横に座った。ソファーに座った父の横で啓吾の体が揺れた。
「パパ……お帰りなさい」
 須藤は啓吾の頭を手で撫でながら、その言葉に笑顔で返した。幼い息子の表情は、父に何かを訴えたいような思いを浮かべていた。だが言い出せないでいる。
 須藤は、決して頭ごなしに人の言うことを否定しないようにしている。息子に対してだけではない。誰に対してもだ。相手が自分に何かしら言ってくるからには、それなりの理由がある。伝えたい、分かって貰いたい気持ちがそこにある筈だ。それをいきなり全否定するようなことを言われれば、相手は不快な気分になるだろうし、それがきっかけで相手が自分に対して心を閉じてしまうこともあり得る。冗談めいた会話でなら話が別の時もある。だが、先ずは相手の言うことには必ず耳を傾ける。それは相手への礼儀でもあり、コミュニケーションとはそもそも「聞く」ところから始まると言っても過言ではないからだ。

「ぱぱへ
 ままがいるよ」

 そう送ってきた啓吾のメールに対し、須藤は

「けいちゃんへ
 ままはけいちゃんのこと、ずっとみてくれているんだよ
 よかったね」

 そう返信した。
 如何に「死」を子供に理解させるか。このことは時間が経てば分かるようになってくると言う者もいれば、例えば飼っていたペットが死んだ姿を敢えて見せ、これが死なのだと教える者もいる。どちらとも間違いではない。それはその者、その親の主観で変わってくるものだ。ただ、それはメールでどうこう言えるようなものではない。話すなら顔を合わせてゆっくりとやるべきものだ。須藤はそう思っていた。それに子供でも死が何なのかは理解そのものは出来なくとも、感覚的には分かっていると信じている。そのことに納得出来るか否かの違いだ。教えるとすれば、壊れた機械が修理されて動き出すようなものではない、持っていたおもちゃを直して、また遊べるようになるものでもない、その点についてははっきりさせねばならない。そうやって命の大切さを伝えることは学校任せにすることではない。親の義務だ。最近の子供にはその点が曖昧なままで育つということがあるようだが、それは親の責任だ。親が子供に伝えるべきことを伝えていない、引いては親と子のコミュニケーションが十分に成されてないことの証なのだ。
 啓吾は、たとえ死化粧を施されてはいても、笑って声を掛けてくれていた時の母とは異なる感覚を、最後の母の姿から感じ取っていた。消え入りそうな声で最後に「またね」と遺体に声を掛けた啓吾の姿は、須藤にとって、息子が死を感覚で分かっていると思うことの出来る証となっていた。
 だからこそ、あの母が生前の姿で、しかも仏壇に置かれた遺影のままの姿で立っていたなんてことが啓吾には半信半疑だったのだ。半信半疑。半分は信じたい気持ちがある。と言うよりも、見てしまったのだから仕方がない。見たということは、啓吾にとっては本当のことなのだから。しかし半分はそれがあり得ないことだと理解している。どちらを信じればいいのか、心の中に葛藤が生まれていたのだ。
 それが故の戸惑った表情を浮かべ、隣に座る父の目を見ていた。

「パパ。あれ、本当だよ」
「ん?」
「ママのこと」
「そうか」
 須藤は啓吾の頭に手を置き、そして自分のほうへそっと寄せた。啓吾から伝わってくる温かさが、須藤の胸に染み渡ってくる。啓吾は須藤の目から視線を落とした。
「怒ってる?」
「怒る? どうして?」
「だって、ママ、もういないじゃない」
「うん。そうだね。ママは天国に行っちゃったからね。でも、ママは何処に行ってもけいちゃんのママだ。けいちゃんが見たって言うなら、それはきっとけいちゃんには本当のことだと思うよ」 
「僕には本当のこと?」
「そうだよ。だって、見たんでしょ? ママを」
「うん」
「じゃあ、けいちゃんはけいちゃんの目を信じたらいい。見たんだってことを信じればいい」
「パパは? パパは信じてくれる?」
「そうだね。きっとママはけいちゃんに会いに来てくれたんじゃないかな? パパもママに会いたかったな」
 啓吾は伏せていた目を上げ、須藤の目をもう一度見詰めた。
「ママ、幽霊になって来たのかな?」
「どうかなあ。幽霊でもそうでなくても、ママはママだ」
「笑ってた」
「良かった」
「何も言ってくれなかった」
「それでも笑ってけいちゃんを見てくれていたんだ。ママ、きっとけいちゃんが元気だって分かって、嬉しかったんだと思う。パパはそう信じてるよ」
 啓吾は小さな腕を須藤の胸に回した。父にぎゅっと抱きついて訊いた。
「パパは何処にも行かない?」
 須藤は幼い息子を両腕で力強く抱きしめた。
「うん。行かない。行かないよ」
 啓吾は父の厚い胸板から顔を上げて笑った。嬉しさを顔いっぱいで表現した。

 朝になって、啓吾は再び母の話に触れることはなかった。
「いただきます!」
 元気にそう言って、須藤の用意した朝食を食べ始めた。いただきますと須藤も言い、そんな啓吾の姿を見ながら手を合わせた。
「うまぁい!」
 焼きたての卵焼きを口に頬張って、父を見ながらそう言う啓吾の顔を須藤はじっと見つめた。 
 母のいない毎日。寂しくない筈がない。
 そして須藤自身も、妻に対してふがいなかったことを忘れてはいなかった。 

 妻の真弓香が生前の頃、須藤は仕事に没頭していた。仕事ばかりにのめり込んで家庭を顧みない父親の話はありがちだ。須藤にとっても、確かに事業が波に乗り始めていた頃、寝る間も惜しんで仕事に没頭していたというのは本当だ。妻の話や相談などにあまり耳を傾けなかったことも嘘ではない。ただそれは、仕事が多忙過ぎるが故に、そこから来るストレスで家庭のことにまで目を向ける余裕がなかったということではなかった。
 元々が子供のような無邪気さが大人になってもそのまま残っている男の須藤は、自分が始めた事業が成長していく様子を心弾ませて見詰めていた。仕事を大いに楽しんでいた。様々なトラブルもあったし、人に話せないような用途で、自分の懐をはたいて大金を支払わなければならない羽目になったこともあった。頭を抱えることもいくらでもあった。だが、それを心から苦に感じたことはなかった。その時は高校時代の恩師の言葉を思い返していた。
「苦しいことや辛くて逃げ出したいことは人生の中でごまんとある。だがこう考えてはどうだろう。それらの困難は神様が与えてきたもの。神様はこの試練を通じてお前に伝えよう、教えようとしていることがある筈だ」
 そして恩師は握りこぶしを須藤の胸に当ててこう言った。
「その神様はお前の心の中にいる」
 この言葉は須藤の心の支えになっている。それを土台としての夢中。没頭。仕事のことばかりが頭の中にあり、妻の微妙な心の変化や、夫がいない間の妻の毎日の出来事などには殆ど関心がなかった。毎日を精一杯自分は頑張っている、そして妻は家に帰れば自分を迎え入れてくれる、自分の波に乗っている今の調子を妻も応援してくれている、そう思い込んでいた。妻は常に自分の傍にいてくれるものだとも信じていた。

 事業を始める前は、須藤も普通の営業マンだった。大手の不動産関連の企業で働いていたが、顧客を一人の人間として見たい、自分も同じ一人の人間として真摯に向き合いたい、自由も利かず裁量もない企業に居続けるのでなく、自分のこれから進む道を見出したい、そんな思いから独立企業の道に入った。真弓香はその頃同じ会社で働いていた仲で、思いを共有して須藤と共に同じ道を進んだ「戦友」であった。
 須藤の最初に設けた事務所は、マンションの一室を借りてのものだった。この事務所の設営や、一定の有資格者の確保など、様々な準備を行う頃も真弓香と手を取り合っての前進だった。その真弓香が、開業の申請のために宅地建物取引業保証協会(通称・宅建協会)への入会書類を取りに、千代田区にある協会の東京本部を訪れた時のことである。その同じタイミングの時に、協会を脱会し、宅地建物取引業免許(開業の際には必ず必要となるが、免許発行には厳正なチェックが入る)を売却したがっている業者がいるとの話を掴んだのである。そこで須藤は株式譲渡という形でその有限会社(宅建業免許付)を一五〇万円で購入、司法書士に「代表者変更」「会社の住所変更」「社名変更」「定款の一部変更」の登記手続を依頼、その「登記事項証明」を添付し、東京都へ宅建業の変更届の提出をして免許証の交付を受けた。
 そうしてやっと営業開始するという一連の流れを真弓香は須藤と共に経験し、尽力した。そしてその後の顧客の獲得のための長く険しい道をも共に歩んだ。
 だからこそ須藤は、共に頑張ってきた真弓香は、妻になった後も自分の思いを常に理解してくれていると思い込んでいた。妻としての視点よりも「戦友」としての視点で見続けていた。
 それに徐々に不満を感じ始めていた真弓香は、須藤の気付かない間に、常に神経質になり始めていた。夫である須藤との仲がぎくしゃくし始めていたのだ。
 そんな中、啓吾が生まれた。須藤は自分は父親なのだという自覚を持ち始め、そこで真弓香の思いにやっと気付いたのだ。これまでの妻と自分との大切な時間を取り戻そうと奮起した。啓吾が成長するにつれ、二人の仲は徐々に回復していった。
 そんな矢先での真弓香の交通事故、そして非業の死という結果を須藤は迎え入れてしまった。

 今、自分の手元には真弓香の形見としての啓吾がいる。自分が寂しがってなんていられない。それよりもこの子と共に歩んで行く、妻と共にいた時間をないがしろにしてしまったことを、この子に対してするわけにはいかない。妻にさせてしまった寂しい思い、孤独な感覚をこの子に味あわせてはならない。そう思って須藤はこれまで踏ん張ってきた。
 しかし、結果的に母親がいない寂しさを拭い去ってやれずにいる。どんなに奮闘しても、自分は母親にはなれない。母としての役目を果たす父親であることが出来ても、母ならではの優しさと温かさを息子に与えるには力不足な部分があることは歪めない。

 自分は、どんなに良く言ったとしても、結局は「父親以上母親未満」なのだ。 

 その思いが一晩中須藤を苛んだ。

「パパ、どうしたの?」
 啓吾の声で須藤は我に帰った。啓吾は既に食事を終えていた。どうやら自分は考えごとをしながら、もそもそと食事を口に運んでいたようだ。
「ん? ああ、何でもないよ。それより時間大丈夫か?」
 時計は七時半を指している。
「あ、もう行かなきゃ」
「忘れ物はない? じゃあ、歯を磨かなきゃ」
「パパ」
「何?」
「ううん、何でもない」
 啓吾は再び洗面所に行き、急いで歯を磨き始めた。須藤は食器をシンクに運び、手早く洗物をした。
 自分がしっかりしないでどうする。しゃきっとしろ。
 須藤は自分にそう言い聞かせた。

 啓吾は父には言い出せなかった。
 もしまた母に出会ったらどうしよう、そう言いかけて口をつぐんだのだ。きっと父は悲しい顔をするだろう。そんな父を見たくない。もし見たら自分も悲しくなるだろうから。
 啓吾はカップに入れた水道水を口に含み、いつも以上に力強くゆすいでいた。

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