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 ←第二部 第二十章 七海の危機 【後編】 →第二部 第二十二章 ペンローズ・ステアーズ
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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第二部 第二十一章 使者

 ←第二部 第二十章 七海の危機 【後編】 →第二部 第二十二章 ペンローズ・ステアーズ
 ある者は椅子の背にしがみ付き、またある者は床の上を丸太棒の如く転がっている。床に這いつくばって体が流されそうになるのを必死に堪えつつ、その体勢のままで滑っていく者もあれば、椅子に座りベルトを締め、体が振り回される度に、ジェットコースターに乗る客のような悲鳴を上げる者もいる。
 グランシュとペイトンは、お互いに異なる椅子の背にしっかと掴まり、機体の揺れに合わせて体の重心を移動させていた。ブリッジ内にはがたがたという鈍い音が響き、機材のパラメーターはとてもまともな値を示せずに、張りをぐるぐると回したり、帯状の電光ゲージを右へ左へと動かしたりしている。
 アルバトロスの安定は保たれず、竜巻の中でもんどりうつ鳥のように、不規則且つ強烈な力で翻弄されていた。
 揺れる度にブリッジ内の照明が点滅している。正面には窓越しに暗闇と、その中を高速で後退しているように映る、雲ともガスとも見分けの付かないものが流れている。今や、急上昇を掛けられたアルバトロスは逆に、とめどもない急降下の最中にあった。
 グランシュは、アルバトロスの操縦桿のある席を、狙いを定めたかのように見据えると、翻弄されている機体の動きを見計り、床が重力に対して水平に近くなった瞬間に、その席へと走り寄った。その席に本来座っている筈の者は、失神した状態で機体の動きに合わせ、その体をあちこちへと滑らせている。グランシュは席に付くとベルトを締め、操縦桿を握った。暴力的なまでの強烈な力が掛かっている。とにかく水平に保たねばならない。機体本体をドリルのように回しつつ、このままされるがままにしていれば、機体は空中分解してしまう。
「うおおおおおっ!」
 グランシュは声を張り上げつつ、必死に操縦桿を制御しようと、あらん限りの力で踏ん張った。だが操縦桿はびくともしない。グランシュは装着していたガントレットを外し、素手で握り直すと再度制御を試みた。その後ろにペイトンも走り寄り、グランシュの手の上に自分の手を置き、共に力を加えた。
「隊長ぉっ!」
「ペイトン! 手前に引け! 踏ん張るんだ!」
 男達は互いに力を合わせた。手に感じる筈の痛みも痺れも感じない。二人は体を翻弄する力に耐え、操縦桿を必死に引き続けた。
 その瞬間。急に目の前に光が怒涛の如くほとばしり広がった。機体は下降を急停止させ、グランシュは握っていた操縦桿の頭に額をぶつけた。後ろにいたペイトンは前方に飛ばされ、機材の上に背中を打ち付けた。ブリッジにて滑り転がっていた各乗組員も、一斉に前へと体を飛ばされた。一人の体に強打された窓に鈍い音が走り、亀裂が入る。
 前方から来る白い光に、乗員達は一斉に目を細め、あるいは手で目を覆った。その中でグランシュはゆっくりと目を開いていった。窓の外では白いガスが高速で流れている。機体は安定を取り戻し、通常時の巡航速度で飛行していた。
「な……んだ、ここは?」
 グランシュは呆れたように小声で呟いた。白色のガスが晴れてくると、一面に広がる空がグランシュの目に映った。だが、それはこれまで彼等が見慣れてきたものとは異なり、一面青い空である。その下には大きな湖が見える。岸辺には、これも彼等からすれば見慣れぬ建築物が、集落が点在している。低い山々があり、その麓を道が湖岸に沿って伸びている。その集落は徐々に規模が大きくなり、町となり、そこに網目のように張り巡らされた道が行き交う。
 車が見える。だが、それは彼等の知る、ホバー状のものではない。四つの車輪を装備したもので、大小様々な車両が道を交互に走り抜けている。
「着いたのか?」
 グランシュは再び呟いた。ペイトンは今、グランシュの足下で背中の痛みに顔を歪ませ、ううという声を漏らしている。
「おい、ペイトン! しっかりしろ! 皆の者! 全員大丈夫か?」
 グランシュはブリッジ中に声を掛けた。皆無事のようである。それを視認すると、グランシュは再び外の光景に視線を戻した。
 湖の幅は徐々に狭まっていき、両岸の町の規模は相反して大きくなっていった。エリュシネとは異なる、かなり大きな規模の街並みである。だが、そこには整然とされた感じはなく、猫の額ほどの土地に建物を密集させているというイメージだ。
 湖の両岸を結ぶ一本の大きな橋が見える。その右手には巨大な輪を縦にしたようなものが建っている。それが観覧車だということは、グランシュには知る由もない。湖面には小さなボートが高速で行き来し、または停泊し、その上で立って釣竿らしきものを握っている者が見える。
「……芳しくないな」
 グランシュは言った。この世界の、現世の者に今の自分達の姿が見えているのか否か、それは不明だが、大勢の者達の前に姿を出すのはあまり得策とは思えない。とは言え、この湖の上以外にアルバトロスを着陸させられそうな所も見当たらない。
 アルバトロスを隠さねばならない。そう思ったグランシュは、操縦桿の横にあるつまみを回した。機体に当たる光を屈折させることで、外の人間からは視認出来ないようにする、一種のカモフラージュ機能を起動させるためである。
 湖の幅がどんどん狭く、細くなり、一本の川へと変わっていることを確認すると、グランシュは機体を旋回させ、湖のほうへと戻っていった。右手に扇形の人工島が見える。矢橋帰帆島である。そして再び琵琶湖大橋を低高度で越えると、バスボートがいない地点にてアルバトロスをホバリング状態にし、グランシュはVTOL機の如く、機体をゆっくりと垂直下降させた。機体は琵琶湖の水面に着水し、安定を保って停止した。
 グランシュ達はトルソのいる東京都新宿区から西へ約五〇〇キロ、彼等の言う尺度で言う五〇〇ミルの地点である、滋賀県琵琶湖の上に到着したのであった。

   ※ ※ ※ ※ ※

「私達はこの度の件に関しましては、当方からは干渉せずとの回答をさせて戴いております」
「左様。さすれば放っておくが宜しいかと」
「彼の者の言い分、言わんとしていること自体は分からなくはない」
「だが、その裏には我欲が見え隠れしている」
「まるで火事場泥棒の如き行為ですな」
 真新しさを保ち続ける畳の間に、五人の僧が鎮座している。閉められた障子には陽の光が当たり、真っ白な、しかしけれんのない輝きを放っている。他の三方の壁に当たる襖も閉じられており、その様は微分の隙も与えない厳格さを醸しだしている。多くの観光客のどよめきも届かず、境内の木々にとまり鳴く蝉の声さえもせず、室内にはぴんとした空気が張り詰めている。
「心清浄なるが故に世界清浄なり……」
 僧の一人が穏やか且つ低い声で言った。
「……心雑穢(ぞうえ)なるが故に世界雑穢なり」
 別の僧が呟く。
「然り」
 再び僧達が言葉を交わし始める。
「あのパラディンなる者達の、あの目……何と冷たい光を放っていたことか」
「この期に乗じ、神の名を借りて自分達の力を、権威を示そうとする……何と浅はかなことか」
「左様」
「ですが……仮に、例の者が現れたとすれば……」
 中でも最も若い僧が不安げに言った。それを聞き、もう一人がこう返した。
「私達にとっては、あのパラディンなる者達も、闇の使いと同等ではあるが……」
「いえ、そうではなく……」
 別の僧が言った。
「分かっております。真なる闇の者、悪鬼が現れたら、と訊きたいのであろう?」
「はい」
「貴方は知らないでしょうが、私達としても、ただ物事を看過して済まそうと言うわけではありません。こちらから干渉することは控える、と言っているまでです。事の次第にもよりますがね」
「では……」
「ええ。警戒網は張っておりますとも。既に何人かの、そちら方面での修験者が動いております」
 その時、障子の向こう側に一つの人影が現れた。
「失礼致します」
 落ち着いた熟年僧の声がした。
「何でしょう?」
「靖徳(せいとく)和尚にお電話が入っております。紫雲(しうん)様からです。至急の御用件とのことです」
 靖徳と呼ばれた、齢五十手前程度の僧は、掛けていた眼鏡の位置を微妙に直すと、「参ります」と返事をし、次いで他の僧達に深々と座礼をし、そして一人の僧を見詰めた。最も高齢と思われる僧である。
「靖徳。そなたに一任すると申した筈」
 その僧の言葉を聞くと、靖徳は改めて深く座礼し、その場を立った。

 部屋を出ると、靖徳自身も気付かなかった蝉の声が一斉に耳に飛び込んできた。最近になりその数を増やしているという大型の蝉、クマゼミのせわしない鳴き声である。日差し自体は木々の葉に遮られ、直接的に肌を射してくることはない。境内自体も、低地を離れた山の中にあるので、暑さも多少は和らいでいる。この場所は、主道である奥比叡ドライブウェイからも離れた位置にある。
 磨き上げられ艶を放つ板の敷き詰められた廊下を、靖徳は白足袋を履いた足取りを速めて歩いた。気が馳せる。急な紫雲からの連絡となると、事はあまり穏やかな内容でないことは、靖徳には想像が付いた。紫雲には、協力を求めてきた、いや半ば強制するような口調で迫ってきたパラディン・エウミリーニョなる者の動向を探らせていたのだ。エウミリーニョは大津市内にある大型ホテルに滞在しているとの連絡が入っている。ただ結託を諦めて、大津市内、いや延暦寺界隈から離れてくれれば、事はそれでいいとの結論が僧達の中で成されていた。ならば、その者がここ大津を離れていったと言うのだろうか? だが、「至急の用件」と電話を取り次いだ僧は言っていた。エウミリーニョが去ったと言うことならば、別に至急扱いでなくともよい。胸騒ぎがする。
 先程いた部屋よりも一回り狭い別室に入った靖徳は。保留にされていた電話の受話器を取った。
「靖徳です」
「靖徳様。急にお呼び立てして、誠に申し訳ありません」
「前置きは結構。何か?」
 受話器の向こうから聞こえてくる紫雲の声が、何時になく緊張しているようだ。
「はい……浄土よりの使者が参りました」
 靖徳の眉がぴくりと動いた。
「そうですか……」
「それが……我々には全く想像だにし得なかった姿で現れまして……」
「どういうことです?」
「見慣れぬ……飛行機のようなもので急に空からやって参りまして……琵琶湖の湖面に着水し、そのまま動きを止めています」
「何とまあ……飛行機とな?」
 靖徳は呆れ返った声を上げた。紫雲は修験者達の中でも、最も堅物に近い男で、そのような冗談など決して口にせぬような者である。それは靖徳自身もよく知っている。そして、そのような「者」「物」を見て、感じる力も優れている。その紫雲の口から出た言葉が、あの世からの訪問者が飛行機に乗って、琵琶湖に着水したとは……。
「今、どちらからこの電話を掛けています?」
「大津プリンスの一階エントランスロビーからです。そして、あのパラディンがそれを察知したようで、ホテルを出ました」
「分かりました。すぐに追いなさい」
「かしこまりました」
「紫雲。貴方自身の目で見極めなさい。その下りて来た者が如何なる者なのか。そして、あのパラディンが危害を加えるに妥当とされない者であれば……」
「心得ております」
「では、次の報告を待っております」
 紫雲からの通話が切れた。靖徳は、気付かぬうちに滲ませていた額の汗を、静かに息を吐きつつ右手で拭った。

   ※ ※ ※ ※ ※

「不思議なものだな」
 アルバトロスの後部ハッチを開け、外を見詰めていたグランシュは言った。
「空が青い。我々の見慣れたものとは全く異なるものだ。だが、街並みや山といった光景を見ている分には、ここが別世界だとは思えん。単に、何処か遠くにある異国の地に来たとしか思えない」
「そうですね……ただ、この世界の空気は何と汚れているのでしょう」
 脇にいたペイトンが、顔をしかめながら答えた。
「空気の汚れを感じられるということは、我々は今この世界で呼吸をしていることになる」
 そう言ってグランシュはしゃがむと、湖面に手を伸ばし、水を手に取った。水は指の間からすり抜けるように落ちていく。だが、グランシュの手は濡れていない。
「鼻や口で呼吸も出来る。空気が汚れていると感じられる。そして、水に触れることも出来る。手で、これが水だと感じることも出来る。だが、私の手も、そしてこの機体さえも……濡れてはいない。だが、機体は確かに湖面に浮いている」
「ええ、確かに」
「これをどう説明出来ると思う? 物質の組成が我々の世界のものとは異なると言い切るだけで十分なのだろうか?」
「さあ……ですが、一つ明らかなことはあります」
「何だそれは?」
「学術院のクランスがこれを知ったら、嬉々として飛び跳ね回ることでしょうね」
「科学者としての血、か?」
「血と言うよりは寧ろ、業でしょうな」
 ペイトンの冗談にグランシュはふっと笑った。
 一隻のバスボートが、彼等とアルバトロスの機体を、まるで雲を抜けるようにすり抜け、後方から前方へと走り去っていった。
「どうやら、我々の姿はここの者達には見えていないようだ。そして、触れることもない」
 今しがた抜けていったボートを指差しながら、グランシュは言った。
「妙な感じです」
 ペイトンがそれに答え、ふうと息を吐いた。
「機関部の様子はどうだ、ペイトン?」
 湖面を眺めたままグランシュは訊いた。
「はっ。第三、第四推進エンジンに想定以上の負荷が掛かったせいで、修理を必要としていますが、現在取り掛かっております。他のエンジンは辛うじて耐え切りましたが、合わせて整備を行います」
「うむ。なるべく急がせてくれ」
「御意」
「それと……トルソとの位置関係は?」
「現在プローブの打ち上げ準備をしております。上空に上がれば副隊長の位置は探知出来ましょう」
「うむ」
 グランシュは立ち上がり、ハッチを閉めようとしたその時である。湖の対岸からこちらに向かってくる、一隻のモーターボートが見えた。そのボートからは、何とも形容し難い禍々しさが感じられる。
「何だ……あれは?」
 グランシュはそのボートを睨み付けた。接近してきたボートは、アルバトロスの前で旋回すると、動きを止めた。そこには一人の男がいる。見た目はグランシュ達と同じ人種のように映る。中肉中背の、四十代後半の年齢と思われる。短く刈り込んだ茶色い髪の男は、ボートの上に立ちながら、じっとグランシュ達を見詰めている。
「何者だ?」
 グランシュは声を張り上げた。その声に男が答えたことに対し、グランシュは驚愕した。自分の声を聞き、そして返事をされていることに。
「何者かだと? それはこっちの台詞だ。お前等一体何なんだ? サタンの使者か?」
 サタンという言葉は、ペイトンにとっては初耳ではあるが、アフェクシアと共にいたグランシュには聞き覚えのあるものだった。この世界にて振興されている宗教のうち、最も勢力範囲の大きいキリスト教なる宗教で悪とされている存在だ。何処だか知らない異国の国の神について書かれているものと、ずっと思い込んでいた書物に記されていた名前である。そして、それが何故に王立学術院の禁忌書として扱われていたのか、ただのファンタジーものか創作ものではないのかという疑問がグランシュにはあった。だが今なら理解出来る。あれはこの世界における宗教、神について書かれていた本であったということ、そしてこの世界の者が口にしていることからも、サタンとは間違いなく、ここで「忌み嫌われている」存在であるということを、である。
 そんなものと自分達とを一緒にされているということは、この者は自分達を歓迎などしておらず、むしろ敵視しているのだとグランシュには推測出来た。
「サタン? 我々はそのような者は知らぬ。そなたには……我々が何故見えている?」
「はん! そんなこたあどうでもいい!」
 エウミリーニョは、パラディン達が各々携帯している「探知コンパス」を取り出し、それをグランシュ達に向けてかざした。オリハルコンの輪が土台から垂直に浮いたまま、動きをぴたりと停止させている。
「少なくとも我々の神に準ずる者には見えん。であるならば……お前等は敵だ!」
 噛み締めるような口調で言うと、エウミリーニョは懐からハンドブックらしきものを取り出し、そこに書かれているであろうものを唱え出した。グランシュ達にとって、書き言葉は別にしても、耳から聴覚神経を通して脳に伝わる音としての言葉は、トルソやアムリス達が須藤一樹と、アイーダやクリッジ達が須藤啓吾と会話出来たことと同じように理解出来、そして自らの言葉を相手へ伝えることも出来る。従って、エウミリーニョが唱えているラテン語も、彼等の共通語が何であるかに関わらず、素直に頭に入ってくる。
 だが、如何なる内容を口にしているかとなると、グランシュ達にはぴんと来なかった。

「神よ、我等の主なる神よ。全ての者に慈悲の心を持つ神よ。貴方の心はたとえ全てを地中の獄へ堕とした者にも、深く伝わってゆく温かさの中にある。魂さえも包み込む手の平が、彼等の体を暗闇から見付け出した時に、憎しみが巣喰う彼等の前に、光り輝く神の下への『階段』が降りてくる。彼等がそれを昇れる様、神よ、その御手を差し出したまえ……」

 ペイトンは怪訝な表情を浮かべたまま、グランシュに耳打ちをする。
「この男、私達を何だと思っているのでしょうね」
「さあ、な」
 その時エウミリーニョが叫んだ。
「悪魔よ! 神に仇なす者よ! 汝の名前をここで言うがいい!」
「私か? 私の名はグランシュ。レグヌム・プリンキピス王政連合首長国を治める女王アフェクシアに仕える、空間近衛騎士団の総隊長である……これでいいか?」
 淡々とした答えに、エウミリーニョは呆気に取られた表情を見せた。悪魔は名乗りたがらない。名乗れば、その力は神の力に劣り出す。即ち、聖職者達に屈服し、追い払われてしまうからだ。だが、いとも容易く名乗りを上げたグランシュの態度は、それ故にエウリミーニョが想像にもしていなかったことなのである。
 グランシュは腰に手をあて、訝しげな表情をして続けた。
「何故我々が悪魔呼ばわりされるのか分からぬが、そういう貴様は何なのだ?」
 この態度に馬鹿にされているという気持ちを燃え上がらせたエウミリーニョは、首から下げていた、全長二十センチ程の十字架を手にした。そして、その十字架の下の部分である鞘を抜いた。鞘の内部には刃が隠れていた。十字架の形をした短剣である。
「貴様ぁっ!」
 エウミリーニョは叫び、ボートから跳躍すると、アルバトロスの翼の上に「飛び乗った」。
「何と……この者は……!」
 エウミリーニョはにやりと笑い、体勢を直した。
「お前等も、この妙な物体も……そうか、ネフィリム(煉獄に縛られ、形を与えられた悪魔のこと)というわけか」
「隊長!」
 ペイトンが声を上げた。
「ああ。どういうわけだか知らぬが、この者、この世界の人間の中でも特殊な力があるようだ」
 グランシュは眉間に皺を寄せ、エウミリーニョから視線を外さずに言った。
 エウミリーニョは短剣を構えると、じりじりと機体胴部へと近寄ってきた。
「神よ、我に力を!」
 そう叫ぶと、エウミリーニョはグランシュのいる後部ハッチ口へと、翼の上を駆け出した。グランシュはそれを見ると、さほど慌てる様子でもなく、無言でハッチの扉を閉めた。閉め終わると同時に、勢い余って飛び込んできたエウミリーニョの体が、扉の外側に体を衝突させる音が響いた。扉のノブを握るグランシュの手に振動が伝わる。
「何と好戦的な! あのような者が闊歩していれば、我々の世界に対する悪しき波紋も真と思えるものだ」
 苦々しげにグランシュがそう言った時だ。外から別の者の声が聞こえてきた。
「早々に立ち去れい、パラディンよ!」
 エウミリーニョがこれに返す。
「何だ? たかが修験者如きが口を出すな! 我は神の名の下、正当な行為を示しているのだ!」
「貴様には分からぬか? 感じぬか! 悪鬼達の醸す気が皆無であることを!」
「黙れ! そもそも我々からすれば、貴様達異教の従徒も悪魔と同等である!」 
「問答無用、と言うことか」
 もう一人の者の声が一段と低く、くぐもって聞こえる。次いで、扉の向こう側で何やらもみ合うような音がしたかと思うと、そのうちの一人が湖に落ちる音がした。
 しゃんという金属音が続けて聞こえてきた。
「去れ!」
 どうやら水に落ちたのは、先程短剣を構えて突っかかって来た男のほうのようである。
「Maldito!(糞ったれ!)」
 エウミリーニョの叫ぶポルトガル語が扉の内側にも聞こえてきた。だが、グランシュ達にとっては、それがラテン語であろうと日本語であろうと、無論ポルトガル語であろうと、言語の音の違いは耳に入らず、その意味合いのみが脳に直接飛び込んでくるわけであり、それを聞いて、グランシュは再び苦々しげな表情を見せた。
 次いで、先程聞いたものと同じ、ボートのエンジン音が轟きだすと、それはアルバトロスから遠ざかっていった。
 少しの間を空け、扉をノックする音がする。
「怪しい者ではありません。ここをお開けくださらぬか?」
 扉の内側に立つグランシュは、その問い掛けに無言であった。
「いやあ、十分怪しいでしょう?」
 ペイトンが小声で呟く。
「私の名は紫雲。天台宗総本山、延暦寺より参りました者です」
 テンダイシュウソウホンザン……? グランシュには聞き取れても、その意味の全く分からない言葉であった。
「先程の者は去っていきました。ご安心ください」
 グランシュは後部ハッチの扉を再び開けた。そこには白装束をまとい、装飾めいた金属を先端に付けた棒を持つ男が立っている。
「単刀直入に申し上げます」
 紫雲は言った。
「貴方がたは……浄土よりの使者であると推察致します。そして……私にはそれが分かる」
 普通、初対面でこんなことを切り出してくる者がいれば、無視するか、あまりにもしつこければ、警察に突き出すところであろうか。だが、グランシュにはこの者が嘘を言っているとは思えなかった。その根拠として、この紫雲なる者は、この世の者であるにも関わらず、アルバトロスの翼の上にすっくと立っていることが上げられる。
 グランシュは扉を開け、男に声を掛けた。
「そなたが……シウンと申す者か?」
「はい」
 グランシュは紫雲の目をじっと見詰めた。その者の瞳は静寂と厳格さに満ち溢れた、鋭い眼光を放っているものの、そこには幾分もの敵意も感じ取ることは出来ない。
「先程の者は、そなたの……何だ? 仲間とは思えぬが」
「左様。あの者はパラディンと名乗る者達の一人であり、私や延暦寺にとっては、異なる神仏を信仰している者であります。そして、その神仏に仕えし戦士と自称している者でもあります」
 この世に関する情報がかなり少ない、いや、殆ど皆無である状況の中である。グランシュの心に、この紫雲なる者、合わせてパラディンという者達のことを知っておきたいという気持ちが巻き起こった。
「貴方がたは何か明確な目的がおありで、ここにやって来られたのでありましょう?」
「無論だ」
 グランシュは短く答えた。
 紫雲は続けた。
「では……事の次第によってはご協力できることがあるやも知れません。一度、共に我が寺へ参って戴けないでしょうか?」
「そなたの……寺へ?」
「左様でございます」
 ペイトンが怪訝な表情を崩さないまま、グランシュに声を掛ける。
「危険ではありませんか?」
 そんなペイトンを目で制し、グランシュは言った。
「どのみち、この世界のことを何かしら知っておくことは、我々にとっても損なことではない。トルソのいる場所が何処かと言うこともそうだが、如何なる場所であろうかと言うことを知っておくのも必要であろう」
「では……」
「トルソの居場所の探知作業、そしてしばらくの留守の間、宜しく頼むぞ、ペイトン」
 そう言うと、視線を紫雲へと戻した。
「私はグランシュ。レグヌム・プリンキピス王政連合首長国を治める女王アフェクシアに仕えし、空間近衛騎士団の総隊長だ。名乗りが遅くなり、失礼致した」
「レグヌム・プリンキピス……ですか?」
 紫雲が呟く。彼にとっては勿論のこと、初耳の国名の筈である。
「左様。そなたの言う通り、そしてそなたやこの世の者にとって、来世に当たる世界を治める国の名前である」
 グランシュの言葉に、紫雲は息を呑んだ。
「紫雲殿。そなたの申し入れ、受けさせて戴こう」
 グランシュは言った。


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