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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第二部 第二十章 七海の危機 【後編】

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「あの娘……付き合っている男がいるにもかかわらず、あの須藤という男にも淡い恋心らしきものを抱いている。何とも不自然で不安定で……いかにも不恰好なことです」

 言いようのない不快さと、不安と、怖れにも似た心のざわめきが、今七海の胸の内を駆け巡っている。苦しい。ここから逃げ出したい。何なのだろうか、この嫌な感じは。嫌で、逃げ出したくて、目を伏せたい、この不快感は何だ?
 そして、箔座の声をして心に直接語り掛けてくる、実に嫌悪感を誘う言葉。

「そして……無様極まりない」

 無様? 人が人を好きであることに何ら変わりはない。確かに、「好き」という感情に様々あるのも事実ではある。憧れであったり、恋心であったり、尊敬の念でもあったり、偏愛もあれば慈愛もある。ただ、そこに如何なる形として存在していたとしても、決して自己中心的な一方的さを呈さず、互いを想い合い、互いを高め合える、そのような「好き」であれば、それを無様などと、赤の他人にとやかく言われる筋合いはない。思うのは勝手だが、それを言葉で以って人にぶつけ、相手を傷付ける権利など誰しも持ち得ない。
 勿論、「好き」の感情には完全無欠なものばかりでもない。寧ろ、不完全で不安定なもののほうが多かったりする。辛く哀しいものもある。攻撃的なものもある。相手に対する態度によっては、看過出来ぬものさえある。しかし、たとえそうしたものであっても、そこから幾つものことを学び、前進する糧になるのであれば、それは価値あるものに化けるのだ。
 かつてシェークスピアは言っている。友達の多くは見せかけであり、恋情の多くは愚かさに過ぎない、と。そう思うのはその者の自由だが、それを人に叩き付けて、その者は一体何を得るのか? 同情への渇望がそう成さしめるのか? そんなものは誰かの懐を傷付けての自己陶酔への渇望でしかないのではないか?
 自分の心にそう語り掛けてくるこの声の主は同情されたがっているのか? 憐れんで欲しいのか? 
 冗談じゃない。甘ったれるのもいい加減にして欲しい。

「貴女が誰かを愛していると言うのなら、それは相手の姿を借りて、貴女の内にある何者かを羨望しているに過ぎない。そんなことにも気付かない貴女を無様だと言って、何が間違っていると言うのですか?」

「そう、あの者もそう。我が子を愛しているだの、救い出すだの、そのようなことを言ってはいても、結局はあの者の内にある、ある種の羨望に対する渇きを癒して欲しいだけに過ぎない。私はその者……スドウカズキの内にある真の部分、紛い物の前向きさという蓋をした、その底にあるものを引きずり出したいだけなのです。そして、貴女もいい加減に気付きなさい。貴女は内に潜む羨望を満たすがために、誰かを愛して幸せになるためよりも、幸せだと人に思わせるために、そんな風に思われている自分自身に陶酔したいがためだけに、毎日を四苦八苦しているのだと言うことを!」

「貴女がた人間を動かす二つの要素。それは恐怖と利益なのです。貴女は父親と言う存在からの愛情に満足することなく、未だに飢え渇き、求め続けている。ですが、砂漠にいくら如雨露で水を掛けても、その水が砂に吸い込まれ、すぐさま乾燥した元の砂に戻ってしまうように、貴女の心も決して満たされることはない。そのことに対して、貴女は怯え怖れている。そして! その愛情を元手に自己満足し、陶酔することで得られる、偽りの幸せという名の利益を獲得せんと東奔西走しているに過ぎない。だから貴女は、貴女がたは、人間とは! 無様極まりないのですよ! よって私は、我々は、貴女がたが許せないのです!」

「違う! 違う、違う、違う!」

 七海は叫んだ。心の底で絶叫した。

「たとえ無様でも! 不恰好でも! 不自然でも! そんなもの関係ない! 私は私! 私の生き方は私自身の生き方! 私の心は、気持ちは、私が自分に素直に向き合ってはっきり断言出来るもの! 偽りだとか、恐怖とか、何? 利益? そんな余計なものなんて何も付けてない!」
「ちょっと! あんたごちゃごちゃうるさいのよ!」  

   ※ ※ ※ ※ ※

「七海……七海! おい! お前、どうしちまったんだよ! しっかりしろ!」
 目を開けず、ただ呻き声を上げている丸山七海を抱きかかえながら、三浦賢治はひたすら呼び掛けていた。
 二人の傍には伊勢谷公博が立っている。
「何だよありゃあ……?」
 その伊勢谷が声を漏らした。その声を聞いて顔を上げた三浦は、伊勢谷と二人して異様なものを視界に捉えた。
 烏だ。とんでもない数の烏が、七海を含めた三人の頭上をぐるぐると旋回している。箔座の窓から放たれた「烏」は自ら分裂し、膨らみ、曇天の空を埋め尽くさんばかりの怒涛の数となっていた。だがどれも鳴き声一つ立てず、ただただ飛び回り続けている。
 妙なことに、三人の周囲にいる学生達は、彼等にちらりと視線を向けるものが数人いた以外、全く烏に関心を示さず、めいめい喋りながら、キャンパス内を闊歩している。都内中の烏が掻き集めでもしたのかと思わんばかりの大集団を目の当たりにして、誰もそれに目を向ける者がいない。
「他の連中には見えていないのか? あれが?」
 伊勢谷は半ば呆れたような声で言った。
 烏の、いや、烏らしきものの群れは、徐々に周回しているその円の直径を縮めている。彼等の頭上が曇天の下にいる以上に、その薄暗さを増し始めていた。そして高度を落とし始めてもいる。
 あるものは樹木のてっぺんに突っ込み、またあるものは立っている時計台に飛び込み、各々が何事もないかのようにすり抜けている。そこにあるものを一切破壊せず、ただ貫通し、そして自身の形を一瞬崩したかと思うと、すぐさまに烏の形を取り戻し、ひたすら羽ばたいている。その中を平然と他の学生達が歩いている。笑い、ふざけあい、談笑し合い、本やタブレット端末を、携帯やスマートホンを触りながら、ただ普段と同じように歩いている。
 その光景の異常さに、三浦や伊勢谷は身震いを覚えた。
「な、何だってんだよ……おい!」
 三浦が震える声で叫んだ。
「ここでじっとしているわけにはいかない! お前、その子を連れてついて来い!」
 伊勢谷が三浦に低い、しかしどすの利いた声で言った。
「あ、あんた誰だよ? 何で俺達を……」
「そんなこと今言ってる場合じゃないだろ! 駐車場まで走るぞ!」
 伊勢谷のこの言葉を合図に、二人は、いや七海を抱えている一人ともう一人は、息せき切って走り出した。先ずは三浦が、その後を伊勢谷が追うように走る。
「正面右手の駐車場だ! すぐ手前に車はある!」
 伊勢谷の声掛けに対し、短く「あ、ああ」と三浦は返したが、その言い方はまるで、泡か何かでも目の前に吹き出さんとしているかのような感じである。
 烏の群れは一瞬、円型の飛行コースを崩し、紡錘形を取ると、次に一気に彼等へと突進を掛けた。
「うわああああっ!」
 三浦が走りながら後ろを見て叫んだ。
「振り向くな! 行け!」
 伊勢谷が再び叫ぶ。三浦は前を向いて走った。
 だから伊勢谷が次に取った行動は三浦の視界には入っていない。伊勢谷はジャケットの内側からずんぐりした金属製の物らしきものを取り出すと、走りながら何やら呪詛めいたものを呟き始めた。

「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す!」
(かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ つくしのひむかのたちはなの おどのあはぎはらにみそぎはらえへたまいしときに なりませるはらえどのおおかみたち もろもろのまがごと つみ けがれあらむをばはらえたまい きよめたまへともうすことを きこしめせとかしこみかしこみももうす)

 次に手首を動かして、金属物の先端を烏達へと向けた。
「伊勢谷公博、神仏の御力を賜りたい!」
 そして素早く先端を格子の目を描くかのように動かした。
「臨兵闘者 皆陣列在前行!」
 俗に言う「九字切り」である。今では様々な物語やサブカルチャーの分野等で知られるようになったものだが、伊勢谷の用いたものは多少異なる。一部では最も強力な九字とされているもので、九字の元祖的なものである。ただ、手で印を切るような動作は見られない。
 伊勢谷のすぐ背後まで迫っていた群れが、目に見えぬ壁に遮られたかのように動きを止めた。その時点では、烏は最早その鳥としての形を留めておらず、黒き靄かガスの集合体のようになって、進行を阻まれていた。

「おや? 妙なことをするものですね、あの男……」
 箔座松太郎は、いや、その体内に潜むものは、ふうと溜め息を吐くと、ぽつりと呟いた。
「ですが、たかだか貴方達如きに、如何ほどの力があると言うのでしょうか」
 そしてにやりとほくそ笑むと、ゆっくりと窓際から踵を返し、ソファにゆったりと腰掛け、その両手を組んだ。

「それだ! そこの赤いRV車だ!」
 伊勢谷は前を行く三浦に声を掛けた。彼等は伊勢谷の車のある駐車場に辿り着いた。
 伊勢谷はふと後ろを向いた。彼等をじろじろと見る他の学生達が立っている。皆、興味深げと言うよりも、不審人物でも見詰めるかのような視線を放っている。
 その向こうから先程の黒色の靄が、今は烏の形を取り戻して、猛烈な勢いで迫ってきていた。
 伊勢谷は右手で金属物を構えつつ、左手をズボンのポケットに突っ込み、車のキーのアンロックボタンをそのまま押した。車のキーが開く音が三浦には聞こえた。
「ほう、さっきのじゃ効果なしってわけか……」
 伊勢谷が苦々しげに呟いた。三浦は後部座席のドアを開け、七海を中に押し込むと、伊勢谷が手にしているものを見た。三浦には名前こそ分からなかったが、それは仏具の独鈷(どっこ)のような形をしている。だが、一方が剣の刃のように鋭く尖っている。ダガーというにはあまりにも短い、妙な代物であった。
 伊勢谷はそのダガーの切っ先を再び群れへと向けた。
「阿耨多羅 三藐三菩提!」
 そして素早くダガーを捻り返すと、群れの正面目掛けて切り付けるような動作を取った。
 その時、三浦の目に信じ難いものが映った。切っ先から白い光が放たれ、それはオーロラのように伊勢谷の前で展開すると(その動きはオーロラの如き華麗さやゆったりした感じは皆無ではあるが)、何本もの光のカーテンとなって、群れへと高速で飛んでいった。
 だが光は群れの手前で四散し、伊勢谷の目の前を黒い塊が怒涛の如くなだれ込んだ。それを伊勢谷は咄嗟に屈んで避けた。
「ひゃあああっ!」
 三浦も気の抜けたような声を上げて、その場に座り込んだ。
 烏の凝縮された群れは、一気に彼等の頭上を飛び越えると、再び上昇して旋回し、再び向かってきた。今度は烏の形などはっきりしない、ただのガス状の塊でしかない。
「悪魔降伏、怨敵退散、七難即滅、七復速生秘!」
 伊勢谷が再び呪詛を唱える。そして再度ダガーを振るった。新たな白き光のベールが発生し、高速でうねった動きをしつつ、群れへと飛び込んでいった。だがやはり、光は弾け散るように四散しただけであった。
「ちっ! 俺の力がやわになったのか、さもなきゃ相手が俺の知らぬところのものかの、どっちかだ!」
 伊勢谷は叫び、今度は車に乗り込み、そこで背を座席の上で屈め、座面にぺたりと這いつくばるような体勢を取った。漆黒のガスの塊は、伊勢谷や後部の七海の真上ぎりぎりのところを高速で流れていった。勿論、フロントガラスやハンドル上部を、何も破壊せぬまますり抜けていってのことである。
「おい! 早く乗れ!」
 伊勢谷はそのままの体勢で、三浦に向かって叫んだ。三浦は後部ドアを開けたままで、路面にぺたりとうつ伏せになったままでいた。伊勢谷の怒声を聞くと、慌てて車の中に上半身を突っ込み、素早くドアを閉めた。
 車が急発進をする。その様を妙な目つきで数人の学生達が見ている姿が、伊勢谷の目に映った。
「ターゲットは俺達だけってことか! 新宿の騒ぎみたいにならないだけマシか!」
 そう言いつつ、伊勢谷はハンドルを切ると、車は駐車場を猛烈な勢いで飛び出していった。
 三浦は後ろで体を転がしながら、伊勢谷に向かってやっと声を放つことが出来た。
「あ、あ、あんた! 一体誰だよ! こ、こ、これ何なんだよ!」
 三浦は半ば裏返った声で伊勢谷に質問をぶつけた。だが伊勢谷はそれには答えず、
「びびってんじゃねえ! 心を乱したら負けだぞ!」
と叱咤するかのような口調で返した。その伊勢谷のハンドルを握る手に、じとりと嫌な汗がにじむ。
 三人の乗る車は今、ひしめくように建つ建築物の合間を、潜り抜けるように走行している。大通りが多くの車で溢れている以上、逃げるという行為において車を使うとなると、不利なことこの上無しな状況であったからだ。
 伊勢谷は猛スピードで狭い路地の合間に車を走らせていた。通行人等の障害物や遮蔽物、カーブや四つ角等に気を張りつつある一方で、その視線はフロントガラスの向こう側と、カーナビのディスプレイとの間をせわしなく行き来している。その車の後ろからは、黒色の「煙」状だか「雲」状だかの物質が猛然と追い迫っていた。三浦は額に汗を滲ませながら、リアガラスの向こうにある、その黒色の異物から視線を放さないでいた。放せずにいた。
 するとその異物は、次に巨大な一本の「腕」となり、その「手」を大きく広げた形となり、更には再び形を崩し、今度は巨大な人の「顔」となり、眼球のない穴のような両目をこれでもかと大きく見開き、その口をがっぽりと開けた。そして、尚も速度を緩めずに追跡し続けている。
 今や三浦の口からは、声らしい声は出なかった。ただ、ひいひいという喘鳴に似た音が漏れ出てくるのみである。
 伊勢谷は運転席側のサイドウィンドウを開けると、右手にダガーを握り、その切っ先を窓の外に出し、何かしらぶつぶつ唱えると、切っ先を小刻みに素早く振るった。その時、切っ先から白い光がほとばしり、それは一本の電柱に向かっていくと、花火のように弾けた。次いでハンドルを切り、伊勢谷は右へと車の進行方向を曲げた。そして再び同じ動作を繰り返し、今度は角にあるマンションの外壁に光の玉を当て、弾けさせた。
「な、何やってんだ?」
 辛うじて絞り出したような声で三浦は訊くが、それにも伊勢谷は答えない。
 車はまた右へと曲がる。その後ろを黒色の異物は更に追い続け、徐々に、そして確実に距離を縮めていた。
 伊勢谷は同じ動作を四度繰り返した。車はぐるりとそのブロックを一周した形になる。だが四度目の光を放った後、伊勢谷は声を大きく張り上げて一言、
「オン!」
と唱えた。
 すると車が通り去ったその直後に、走行してきた道を遮断するように白い光の壁が出現し、それは異物の進行を止めた。リアガラスからその光景を見つめる三浦の目が大きく開いた。異物は今や、何かしらの形を取ることもなく、ただ黒い激流となり、壁に囲まれた空間を狂ったようにぐるぐると高速で周回していた。
「結界を張った」
 伊勢谷の声がした。
「だがそう長くは保たん。今のうちにここを離れる!」
 そう言うと伊勢谷は、入り組んだ地区から車を出し、主道へと滑り込んだ。
「お前、その娘と付き合ってるのか?」
 伊勢谷の質問に三浦は「え?」と返した。
「その娘と付き合っているのかと訊いている」
「そ、そ、そんなこと、あんたに関係な、ないだろう?」
 伊勢谷は落ち着きを取り戻した、且つ、低く力強い声で言った。
「付き合ってるなら、その娘を守るのはお前の役目だ。しゃんとしろ」
 その言葉を聞いた三浦は口をあんぐりと開けて、ルームミラーに映る伊勢谷の目を見詰めた。

   ※ ※ ※ ※ ※

「ふははははははは!」
 不愉快な高笑いが両耳の鼓膜を引き裂かんばかりに響く。
「貴女のその剥き出しの敵意! それは我々に力を与えてくれる! 実にいいものだ!」
「何ですって…… ?」
「そのような心では我々を倒せぬ」
 箔座の声で放たれるその言葉に、七海はおぞましさを感じていた。
「まあ、いいでしょう。今の私は貴女に大した用などありません。いずれ、貴女は己の無様さ、不恰好で不安定で不自然極まりないその存在そのものを思い知る時が来ます。私は貴女の心から、あの父子の心へと渡りたいだけなのですから」
 七海の背中に悪寒が走る。
 再び声がする。
「敵意と恐怖……素晴らしいです、人間……」
「ちょっと……おじさまに……けいちゃんに……何する気なの?」
 七海は声を凄ませて訊いた。
「私の主が求めているのですよ。あの二人の心の内にある輝き、強き輝きを手にしたいとね。強き光がそのまま闇へと転じるならば、そこから得られる利は計り知れませんからねえ」
 更にくくくという、押し殺したような含み笑いも聞こえてきた。
「ふ、ふざけないで! あの子に……おじさまに……あんたなんかが手を出していいってもんじゃないわ!」
「ほおう、おじさまと呼ぶあの男に恋心を抱いているからこその気持ちですか? 気に入られたいから、その男の子供にも気があるような素振りをしてみせるので?」
「うるさい! 二人に手を出さないで! 止めて!」
 七海は胸に鋭い違和感を感じていた。まるで冷たい、あまりにも冷たい槍の刃が胸に、そして心に深々と突き立っているような感覚がある。それがゆっくりと、底なし沼に沈んでいく物体の如くじわじわと確実に、奥底へと入り込んでくる感覚。
「駄目! そんなことをしたら……許さない!」
「ふうむ。では、どうするとおっしゃるのです? たかが人間の小娘一人が何を? んん?」
 七海の脳裏に啓吾の顔が浮かんできた。
「お姉ちゃん!」
 そう言って、満面の笑顔で自分にしがみ付いてくる啓吾。そんな愛くるしい笑顔でこちらを見つめてくる啓吾。母を亡くし、その悲しみと更に上を行く寂しさに耐えながら、大好きな父までもを悲しませたくないという思いを芯にして、健気に振舞う啓吾。
 そして須藤一樹。人懐こい笑顔を絶やさない須藤。父のような温かく且つ力強い視線を向けてくれる須藤。心が折れそうな時、父である丸山重雄と共に思い、考えてくれ、ふと気付くと傍らに立ってくれている須藤。実の父とツートップを組む温かな存在であり、何時の頃からかそれが自分の求める男性像へと昇華していった須藤。 
 そんな二人の心に今、わけの分からぬ存在が食い入ろうとしている。こんな悪趣味極まりない存在に、須藤一樹と息子の啓吾、この二人の邪魔立てをされるなどということには我慢がならない。
 あの父子には幸せになってもらいたい。母亡き後に残った悲しみと寂しさを力を合わせて乗り越え、一歩ずつ前へと進んでいるあの父子の力になりたい。
 その時。須藤父子に対しての想いは、箔座松太郎に憑く存在への敵意を越えた。

「……何?」
 ソファに座って閉じていた箔座の両瞼が開かれた。

 七海は感じていた。自分の胸に突き立つ、氷の如く冷たい「槍」が、早送り再生されている動画……風化していく岩の動画の如く、塵のように分解していく様を、心の内でしかと感じていた。
 三浦の目には、新たに別の異様な光景が映し出されていた。七海の胸から黒い煙状のものが立ち昇り、それは車の屋根をすり抜け、どんどん上昇していった。やがてそれは、七海の胸から出てこなくなった。同時に七海はゆっくりと目を開いた。
「な、七海! 気が付いたか?」
 三浦は七海に呼び掛ける。
「みん……君?」
 七海が力無い声を漏らした。
「七海! よ、良かった!」
 三浦が安堵の大声を出した。その姿をルームミラー越しに見ていた伊勢谷の、緊張していた表情が些か緩んだ。

「構いません」
 箔座はすっとソファから立ち上がると、再び窓際へと歩いていき、外を眺めた。
「あの二人の心の内、見せて戴けましたから」
 そうぽつりと呟いた箔座の口元が、にやりと歪んだ。

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