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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第二部 第十七章 奇襲

 ←第二部 第十六章 グランシュ →第二部 第十八章 七海の危機 【前編】
 窓の外に曇天の空に覆われた市街地が見える。新宿の街並み。先日の「畏怖」との交戦を迎えた夜も、目の前に広がる世界にとっては、日常の中に突如潜り込んだ非日常ではあったが、それも綿々と続く毎日という題名の厚き本の一頁でしか過ぎない。ページはめくられ、その後が終わりなく綴られていく。
 だがあの夜の傷跡はそこかしこに残っている。JR新宿駅周辺には、あちらこちらに立入禁止の黄色いテープが張られている、またはオレンジ色の金網が張られ、その中にブルーシートで覆われているものがある。路上には赤いパイロンが並べられ、交通規制が行われている。そのために起こる渋滞で、車がまるで屋根瓦の如くひしめいている。そして、その合間を人がせわしなく、いつものように動き回っている。遠目に映る高層建築物の中には、屋上や天蓋を砕かれたものや、腹に大穴を開けられたものがあり、その痛々しさが視界を突く。
 トルソはその光景を、口を真一文字に結んで見詰めていた。
 テレビと呼ばれる、金属とも合成化合物とも見分けの付かぬ板状の物体には、あの時の新宿の騒ぎに関する対話が映し出されていた。口の動きと、トルソの耳に響く言語とには、如実に違和感がある。彼等の話す日本語がトルソの耳には母語として届くためだ。吹き替えされた番組なり映画を見たことのない(それどころか、そんな媒体は政府施設か、近衛騎士団所有の一部の艦艇のブリッジでしかお目に掛からない)のだから、至極当然ではある。
 電子音が鳴った。インターホンである。
 トルソは壁掛けの受話器を取った。多々良に教えられた通りの操作をする。小さな画面には当の多々良が映っている。
「調子はどうだ?」
 トルソは受話器を置くと、部屋の入口である黒いドアを開けた。多々良が手に袋をぶら下げて立っている。
「この部屋の住み心地はどうだい?」
 そう言うと、多々良は「入るよ」と一言付け加えて、室内へと入っていった。トルソはその後に続いて部屋へと戻っていった。
 ここは多々良が「無償」でトルソのために借りたマンションの一室だ。「借りた」と言うよりは、無料で無理矢理使用しているという表現が正確である。その部屋は本来、別の者が所有しているのだが、その者と多々良との関係は些かダークな話になるため、ここでは多々良の名誉を鑑みて割愛することにしよう。多々良に頭の上がらない者の部屋、とだけに留めておく。その者が現在、長期で部屋を空けているため、その鍵を「預かっていた」多々良が、トルソのために使用しているのだ。無断使用ではない。所有者からは「一つ返事」、しかも「即答」で承諾を得ていたのだから。
 トルソは再び窓辺に立つと、眼下の市街地に視線を戻した。
 多々良は二つのコンビニ袋をフローリングの床に置くと、トルソの横に立った。
「何を見ているんだ?」
 多々良が訊いた。
「そなたには見えぬか……黒き流れが」
「何だいそりゃ? まさか、例の『あれ』か?」
 多々良の表情がぎょっとしたものに変わった。
「いや、似てはいるが……それほど強力なものではない。あれはここに生きる者達の抱える業でもある」
 トルソは答えた。多々良がそれをオウム返しで返す。
「業だって?」
「この世界の住人達は……」
 そう言うとトルソは口をつぐんだ。そしてテーブルのほうへと歩いて行くと、テーブルの上にあるメモ帳にペンで文章を書いて示した。

 Nihil quod vides, quod non vides veritas.

「何だこりゃ?」
「私の国の母語でこう書くのだ。『汝の目に見えるものは存在しない。見えぬものこそが真実』」
 多々良は表情を曇らせ、手で後頭部を掻きながら、そのラテン語で書かれた文章を見つめて言った。
「またえらく哲学的だね」
「目に見えるものだけに固執していると、その裏にある真実を見逃しかねない、とでも言っておこう」
 トルソの言葉に、多々良はそりゃそうだとでも言いたげな表情を見せた。
「仕事柄その手のことには触れまくっているからね。分かるよ」
 そう言うと、多々良はテーブルの横にある椅子に腰を下ろした。
「差し入れだ。飲めるだろう?」
 ビニール袋の中には冷えた缶ビール数本と、つまみの入った袋がある。
「ビールって言うんだ。あんたの国にはあるのか? あ、あっちじゃ仏様が御法度としていて、酒は飲めないとか?」
「いや、向こうもここと似たような世界だ。人は生まれ、育ち育てられ、働いて、いずれは死を迎える。その合間に食えば飲みもする。酒もある」
 そう言うとトルソも座った。
「へえ、じゃあ生臭坊主もあっちに行きゃあ、全くお咎め無しってことだな」
「ナマグサ……何だって?」
 トルソの怪訝そうな表情に、多々良は笑って手を振り誤魔化した。そして二つのビール缶のプルトップを開け、一方をトルソに渡した。
「あんた暑くないのか? 冷房の付け方教えたろう?」
 多々良はそう言って、ビールを一口ぐいと飲んだ。そして、まるで業火を逃れて逃亡していた地獄の受刑者が、極楽浄土に辿り着いた瞬間にでもみせるのではないかと思わせる、安堵に満ちた表情を浮かべた。
「ああ。不自然な冷風は身体に合わぬのでな」
 トルソが答える。
「それよりも湿っぽいのが辛い。先程までそこの窓を開けていたのだが、外の空気はあまりにも汚れすぎている。一体何故だ?」
「繊細だな」
 多々良はそう返し、ビールを更に一口飲んだ。汗ばんだ喉元に、ぐびりという音を立ててビールが流れ込んでいく様が、喉の動きで察することが出来る。トルソもそれに合わせてビールを口にした。発泡する酒はエリュシネでも飲まれているが、エリュシネで売られている酒のほうがもっと香り高く、品があるように感じられる。
「そなたに私の故郷の酒を飲ませてやりたいものだ。旨さと香り高さで驚くだろう」
 トルソの言葉に多々良は再び手を振って断った。
「よせよ。まだ俺はそんな所に行きたくない」
 その返事を聞き、トルソは口元を緩ませて答えた。
「それもそうだな」

「で、あれから増えているのか? その……心を奪われた子供の数は?」
 緊張感を取り戻した表情で、トルソは多々良に訊いた。
「いや、報告がないだけかもしれないが、今のところそんな話は出ていないらしい」
「出ていない『らしい』?」
「治美が、ああ、あの夜に新宿でコーヒー飲んだろ? あの時俺の傍にいた彼女な、そうした子供……いや、それ以外の別の子供のほうがもっと多いんだが…、そんな不遇な子供を擁護する仕事をしているんだ。治美は色々と調べていて、取り敢えずそんな話は新しく聞かれていないと言っている」
「そうか。では、既に災難に遭った子供達はどうなんだ?」
「ああ、眠りから覚めていない。眠っていると言うより、昏睡状態のままだ」
 トルソは無言で返した。眉間に皺が寄る。
「但し、そんな子供の数が増えていないのは、あくまでもここの話であって……」
 多々良は続けた。
「海外じゃ先進国を中心に、そんな『症状』を示す子供が増え始めているそうだ。治美がネットで調べていたんだが、その数はまだ爆発的にというレベルではないらしい。だが確実に数を更新していっているそうで、アメリカじゃCDC(疾病予防センター)が調査に乗り出したらしい」
 CDCが何なのかトルソには分からなかったが、それでも「病気」という見方で、その子供達を看る行為が何の力にもならないことは既に知っている。
 トルソの表情の曇りが一層強くなった。
「……てことはあれか? あの妙な奴が、世界じゃ他にもいるってことなのか?」
 多々良が訊く。
「その可能性はある。そして今、この瞬間、奴等がこの世界に下りてこないとも限らない。いや、恐らく再びやって来るであろう」
 多々良は声を荒げた。
「あんた何かまだ隠しているだろう! ありゃ一体何だったんだ? この街をああまでぐちゃぐちゃにして、何人もの人間が……俺の仲間までもがやられて……死んで! まさかただの幽霊ってのにそんな力があるってのか? 幽霊なんて俺は頭から信じちゃいねえが、それでもあの真っ黒いバケモンは見た! そして妙なことを言うあんたが今目の前にいる! 治美も話していた、バカでかい鳥に乗っていた連中! 一体何が起こっているんだ!」
 そう言い終わると、多々良は肩に下げて持ってきていた鞄からタブレット端末を取り出し、YouTubeにアクセスし、須藤一樹がグリフィスに乗って、橋から上空へと舞い上がっていく動画をトルソに見せた。
「こりゃあ何なんだ? この甲冑姿の男、明らかにあんただよな? 何が起こっている? 何を隠している? 話してくれ!」
 トルソは多々良のヒステリックなまでに荒げた声を最後まで聞き、そして目を閉じた。
 大きく息を一つ、トルソは吐いた。
「実は私も詳しくはないのだが……だが」
「だが? だが何だ?」
 多々良が噛み付きそうな形相でトルソを睨む。
「そなたにはまだ話していないことがある。『畏怖』は、あの黒い者は……ただの先兵だ」
「センペイ?」
 多々良の表情に訝しがる気持ちが加味された。
「人の黒き想いや感情、負の思念を統率し、全てを破壊しようとする存在がある。私は既にこの世界に潜り込んでいたその先兵を追って来た。それは先日話した通りだ。ここの者達を傷付け、命をも奪ったあの『畏怖』なる者、奴らはそんな破壊者の持つ軍隊の先兵、使い走りにしか過ぎない」
 多々良はトルソの言葉を呆然としつつ聞いていた。
「で、その破壊者ってのは何だ? 神様か?」
「虚無を司るものだ。奴は自身を神と称している。虚無神タナトス。そして、そのタナトスの直属の配下にセンチュリオンなる存在がある。我々が遭遇したのは、更にそのセンチュリオンの指揮下にある軍団の一部でしかない」
 無言で多々良は返した。これではまるでSF映画だ。それもB級の低予算ストーリーにしか思えてならない。
 トルソは更に続ける。
「あの時『畏怖』は言っていた。奴らはその気になれば、この世と私の世界とを隔てる境界を破壊し進軍することも出来る。だがセンチュリオンがそれを許さない。子供の陰なる気……より純粋で、より無邪気で無垢で、そのために更なる破壊力を帯びる哀しみ、怒り、寂寥感、その他の黒き思念を心そのものごと奪い、それを用いてタナトスを目覚めさせるつもりでいると」
 多々良の頭の中は今や混沌に満ちていた。何が何なのか全く理解出来ない。いや、理解不能なのではない。自身がこれまで生きるためにすがっていた常識なりセオリーなり、それら全てにアンチ的なものを呈されたような気がして、戸惑いを隠せないのだ。
「私の世界にも異変は起こっている。これは……」
 トルソは次の言葉で以って締め括った。
「……これはこの世と私の世界、即ちそなたの言う『あの世』双方に対する宣戦布告なのだ」

「Ich habe dir davon gesagt. Noch einmal. Halt」
「それは何です?」と日本人神父が、ルームミラー越しに、パラディン・アウグストの手にするコンパスらしきものを指して掛けた質問に対しての、アウグストの答えだ。Haltの部分はまるで、聞き分けのない子供を戒める親のような口調に聞こえた。瞳が冷たく光る分、この語が刃のように日本人神父の鼓膜を貫いた。「言った筈だ。もう一度言う。黙っていろ」とドイツ語で冷たく言い放ったアウグストは、視線を右手の平に載せた小さな物体へと戻した。コンパスらしきものとは表現出来るが、方位磁石とは全く似ても似付かぬものであった。球体の立体コンパスとでも言うべきであろうか、複数のリングが互いに接触することなく、くるくると交差しながら、せわしなく回転している。車の後部座席にもたれ掛かった姿勢で、アウグストはその回転をじっと見詰めている。
 ばつの悪そうな表情で日本人神父は「Ja(はい)」と答えると、再び運転に集中した。交通規制で車という車がひしめき合っている様を尻目に、二人の乗る白いセダンは走り続けている。
「Gerade aus, GOTOH(まっすぐ進め、後藤)」
 アウグストがまたも冷ややかに言い放つ。
 後藤は再び「Ja」と返事をしながら、ハンドルを握り続けた。しかし何故にこうも冷酷さを具現化したような男が、ヴァチカンからの使者でいられるのかと、後藤は疑問に思えてならなかった。神の寵愛など微塵も感じさせない、これではまるで堕天使ルキフェルと表現したほうが妥当だ。メフィストと呼んでもいい。メフィストフェレスでは長たらしくて呼び辛いから。何ならアスタロトでもいい。アウグストと名前も似ているし……思い付くままに悪魔の名前を脳内で羅列し、ルームミラーに映るアウグストの姿に当てはめては、面白くない、しかし怖いと言う気持ちを表情にありありと浮かべ、後藤は運転を続けた。
 そもそもパラディンなる者達がいるということさえ初耳である。神の代弁者であり、悪魔と戦う機動部隊……対悪魔専門部隊であるというパラディン。何処ぞのアニメにでも出てきそうなネタだ。だが、そんな彼等が実在していると言うことは、やはり悪魔も実在していると言うことなのだろうか。心の問題でもなく、霊的な、神的なものでもない、これまでに聞き教えられてきた存在、概念とは異なる、「悪魔」なる存在が。
「Recht(右だ)」
 アウグストは方向を指示し続ける。
「Ja」
 後藤が不服そうに答えた。するとアウグストは次に日本語で言った。
「不満か? ならば私にこの車を渡せ。一人で行く」
「い、いえ! 不満など……申し訳ございません」
 慌てて答える後藤に対し、アウグストはふんと鼻を鳴らした。
 後藤は日本カトリック総会からの直属の命令を受けている。

「パラディン・アウグストからは一時も目を離してはならない」

 壮快もこのパラディンなる存在を「警戒」しているのだ。何をやらかすか予測不能な彼を野放しにすることは、日本のカトリック司教の沽券にかかわるとでも言うのであろう。ヴァチカンに舐められたくもない、そんな意思さえ感じられる。
「Stop!」
 アウグストが大声を上げた。それに対し「ひっ!」としゃくったような小声を漏らして驚いた後藤は、急ブレーキを掛けた。アウグストが後ろでつんのめった姿勢になる。急ブレーキを踏んだ後藤に鋭い視線を投げ掛けると、アウグストは車を降りた。後藤も慌てて下車する。
 二人の前には一棟の高層マンションが建っている。アウグストの右手にあるコンパスらしきものの動きが止まっていた。回転していた複数のリングは、土台の上に浮いたまま固まったようになっている。
「トランクを開けろ。中の包みを出せ」
 アウグストは上層階を睨んだまま後藤に命じた。ここに来る途中、新木場に寄って、怪しい集団から受け取った黒い革張りの袋のことだ。ゴルフバッグにも似た袋の中が、何やらがしゃがしゃと音を立てていたのを覚えている。後藤はその包みを出すと、アウグストに差し出した。
 アウグストはコンパス状の物体を
「持っていろ。紛失したら殺す」
と、ヴァチカン関係者の言葉とも思えぬ物言いと共に、後藤に手渡した。そして包みを開けると、二つの長い物体を取り出した。
 それを見て、後藤は言葉を失った。
 一つはどうやって国内に持ち込んだのか、全く以って理解不能なものである。アウグスト愛用の長剣だ。空港を通じてでは運搬不可なため、「別口」で日本に運ばせたものだ。
 そしてもう一つは、ドイツ軍で一般に使用されている、ベルギー製のアサルトライフル、SCAR-Hだ。
 アウグストは黒尽くめのローブの胸元からサングラスを取り出すとはめ、それら二つを構えた。まるで某映画に出てきた殺人アンドロイドのように映る。いや、アウグストのほうが更に禍々しく見える。
「Amen」
 そう一言呟くと、アウグストは睨みを付けていた階にある一室へと向かった。

 トルソの表情が急に険しくなった。そして玄関のほうへ視線を向ける。
「どうした?」
 多々良の質問にトルソは、「ここを出る」と一言で返した。そしてカーテンをレールから引きちぎるように外し、ベランダに出ると落下防止用の手すりに結わえ付けた。
「タタラ、急げ!」
 そう言ってトルソはカーテンに掴まり、ベランダから身を乗り出すと、一つ下の階のベランダへと移っていった。 
「お……おい! 何をやっている?」
「急げ! 死にたいのか?」
 トルソの声には鬼気迫るものがある。多々良の直感が、彼に続けと促す。
「マジかよ……ここ二十三階だぞ!」
 慌てるように多々良もカーテンにしがみ付き、そろそろと下へと、ベランダから移動を始めた。その両脚をトルソに抱え込まれ、ぐいと力尽くで引きずり下ろされた。
「おい! これは不法侵入だぞ!」
 その他たらの言葉が終わらないうちに、トルソは閉じられているガラス窓を開けようとした。案の定施錠されている。トルソは右肘でガラスを割り、鍵を開けると中へと飛び込んでいった。中にいた主婦が金切り声を上げる中、トルソは玄関へと急いだ。その後ろを多々良が続く。
「あ、すいません! 警察です……おい! ちょっと待て!」
 そう言いながら、多々良はトルソを追った。
 トルソは玄関のドアを開け、外の様子をうかがうと飛び出した。多々良も更に続く。二人はエレベーターの前に来た。三角形の標示が「上」を示している。丁度、上昇していくエレベーターが視界から去っていくところであった。だが、その中に下半身のみではあるが、黒尽くめの服装をした者が見えた。多々良は目を疑った。ライフルと思われる銃と、刀身剥き出しの剣を手にした姿が、はっきりと目に映ったからだ。
「お、おい……!」
「私の名前はトルソだ! 失礼な呼び掛けはやめてくれ!」
 何を悠長なことをと思いつつも、多々良は「なあ、トルソ!」と更に続けた。
「一体何だって言うんだ?」
「ただならぬ殺気を感じた。これは連中ではない。この世界の人間のものだ!」
 トルソの答えに多々良は更に戸惑った。
 この男を殺そうとする人間がいる? この世界に?

 二人が会談を駆け下り始めた瞬間、アウグストは施錠されたドアの鍵の部分をライフルで撃ち、無理矢理中に入ると、今度は辺り中に銃を連射し始めた。二人が飲みかけていたビール缶に穴が開き、飛び散るビールと共に宙へと舞い上がる。ありとあらゆるものが粉砕され、窓ガラスも激しい音と共に粉々に砕け散り、壁や天井に無数の穴が瞬時に開けられた。
 アウグストは連射を止めると、銃口を床に向け、ベランダに視線を向けた。手すりに結わえ付けられたカーテンが、風に吹かれてなびいている。
「Schade……(くそっ)」
 そう呟くと、アウグストは部屋を出て、エレベーターへと向かった。だが、一基しかないエレベーターは下へと向かっている。途中の階からトルソと多々良が乗り、一階へと向かったのだ。
 上方で銃声と窓ガラスの砕け散る音を聞き、後藤ははらはらしながら、マンションの上層階を見ていた。ふと視線を下に向けると、靴を履かないままの二人の男がマンションから転がり出すように出てくる姿が目に映った。一人は日本人、もう一人は大柄な白人男性だ。
 そして二人も後藤を見た。
「え? 神父?」
 多々良が言葉を漏らした。
「行くぞ、タタラ!」
 トルソが大声で叫ぶ。二人は細い通りを一目散に駆け出した。
 アウグストが少しの間の後に外に現れた。剣とライフルをしっかりとb握り締めたままだ。
「Wohin! Wohin gingen sie denn?」
 何処だ、連中は何処へ行ったと捲くし立てるアウグストに対し、後藤は上ずった声で、トルソ達の走っていった方向を指差した。
 ちっとアウグストは舌打ちした。そして、後藤の胸倉を掴むと自分のほうへと引き寄せた。アウグストは後藤の顔に自分の顔を近付け、お互いの鼻と鼻が接触しそうなまでの至近距離で、日本語で話し出した。
「奴はキリストに仇なす者だ。獣なのだ! 如何なる理由があろうと、我々は奴を放ってはおけないのだ! 理解したか? Versteht mir, OK?」
 トルソはキリストに仇なす者。これがパラディンの見解である。そしてヴァチカンの見解でもある。パラディンにとって、ひいてはヴァチカンにとって、アフェクシアとその臣下、そして空間近衛騎士団の者達は、キリストの更に上位に値すると自称している「来世の住人」であり、トルソはそんな来世からの使者。キリストを唯一絶対神とするパラディンやヴァチカンにとって、そんな彼等の存在は決して容認出来ない、あってはならない存在なのだ。トルソの追って来た黒き異物と共に、存在の許されぬ者だと捉えているのである。
 ヴァチカンはアフェクシアと交信が可能である。教皇はアフェクシアを「聖母」と呼んでいる。しかし本音は違っていた。来世との交信は、この世界をカトリックによる支配に利用出来る、単なる情報源であり、教皇はアフェクシアを認めていなかった。勿論、来世との交信が可能である旨をパラディンは知る由もなかったが、その教皇が下す命令は絶対である。

「父であるイエス・キリストの名を汚し、世に仇なす者が下りて来た。神の名の下に処分せよ」 

 アウグストは考えていた。トルソの存在(トルソという名前は知らないが)を捜し出し、抹殺する。当然、トルソの周りを探っていれば、新宿を破壊した「悪魔」とも遭遇することになろう。ならば一網打尽にするのみ。
 アウグストは後藤に怒鳴った。
「車を出せ! Los!(急げ)」
 後藤は悲鳴にも似た返事をすると、助手席に乗り込んだアウグストと共に、運転席に転がり込むように乗ると、キーを回し車を発進させた。マンションの駐車場で切り返したセダンは、トルソと多々良が走り去っていった方角へと進み出した。
 だが、アウグストは更にもう一つの命令をも受けていた。

   ※ ※ ※ ※ ※

 見た目は留学生っぽい、赤毛の若い青年は、丸みの帯びた眼鏡のフレームを触りつつ、「レンタミューズ」の店内へと入っていった。
「いらっしゃいませ!」
 たまたま店頭にいた丸山重雄は、その若者に声を掛けた。彼が外国人であることは一目で分かる。さて、外国人向け物件は数こそ多くないが取り扱いはある。それともシェアハウス希望かと思いつつ、彼をカウンターに招いた。
「Bonjour……j'aimerais voir le président de ce bureau tout de suite. Eux……il y a quelqu'un qui parle français ou anglais?」
 丸山の表情一杯に苦笑いが拡大した。
 フランス人? 冒頭のボンジュールしか分からん。はて…… 
「ああ、本当は日本語使いたくないんだけど。自信ないし、あのバクバクした発音が嫌なんだ。品が無さ過ぎる」
 何とも流暢な日本語で日本語をけなしつつ、愛想笑いを浮かべて赤毛の髪を右手の指でくるくる回している青年は丸山の顔を見つめた。
「えっと……お部屋探しですか?」
 丸山は何とも後味の悪い言葉を聞かされつつも、そこは来店されたお客様であると思い直し、接客態度に出た。
「ああ、そう。友達もこちらでお世話になったみたいで。その時は、ここの社長さんがとてもいい部屋を紹介してくれたと喜んでいたんです。だから、僕も是非お願いしたいなって思いまして」
 青年は言い終わると、実に屈託ない笑顔を浮かべた。
「ああ、そうなんですか。ありがとうございます。大変申し訳ないのですが、今は社長の須藤は不在なんです」
「不在? お休みですか?」
「ああ、ちょっと、長期出張に出ておりまして」
「へえ、 そうなんですか。それは残念だなぁ。生憎、他のスタッフさんでもいいんでしょうけど、出来れば是非、僕もその方にお願いしたかったな」
 接客担当を指名してくる場合と言うのもないことはないだろうが、今回の場合、この若者が単に冷やかしで覗きに来たという印象しか、丸山には持てなかった。だが、たとえ冷やかしではあっても、一度店の敷居を跨いでいただけた以上、大切な客である。
「今、特に急いで探しているわけじゃないから……ごめんなさい、また寄せて戴きます」
 そう言うと、青年はぺこりと頭を下げて、早々に店を出て行った。
 カウンターの薄い壁一枚の向こう側からクミが顔を出した。
「あれ、帰っちゃったんですか?」
 丸山は脇腹に手を当てて、「そう」と短く答えた。
「社長、留学生かなんか相手に物件なんて、何時契約したんだっけ?」
「さあ。たまたまみんな出払ってる時になんじゃないです?」
「かもね」
 クミは手にしていたファイルをデスクの上に置くと、
「でも変ね」
と呟いた。
「変って?」
 丸山が訊き返す。
「彼、最初フランス語で話していたじゃないですか? あれ、ウチの社長にすぐにでも会いたいんですって言っていたんですよね。でも、今急いでいないみたいな言い方をしてきたでしょう?」
「そんなの、あいつの日本語の使い方が間違っていたんじゃないか? 品のない発音で使いたくないらしいし」
「そうかしら。 ま、いいわ」
 そう言うと、クミはデスクにつき、マウスを動かし始めた。

 赤毛の青年はJR上野駅前の歩道橋の上に立っていた。激しい日差しの下、彼は右手の平に置いた小さなコンパス状の物体を見詰めている。複数の小さなリングが、互いに接触せずくるくると回転していた。

 アウグストを始めとする、入国してきた複数のパラディン達に下された、ヴァチカンからの「もう一つ」の絶対命令……

「神に仇なす者と接触した男を発見し、捕縛せよ」

 ヴァチカン側は、東京スカイツリーの傍で、須藤がグリフィスに乗り上空へと昇っていくと言う、あの動画をチェックしていたのである。

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