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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第二部 第七章 リーガン・アブダイク 【2】

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 眩い光の満ちる部屋。眩い天井。だがあまりにもの眩さのせいか、ものがぶれて見える。周りにいる者達は誰なのだろうか。腕が迫ってくる。皆幸せそうに笑っている。自分が抱き上げられる感覚を覚える。その者の一人が幸せそうな声色で語り掛けてくる。
「貴女の名前は……よ」
「『愛』って意味があるの」
「貴女は私達の希望よ…………」

 目が覚めた。夢だ。最近しばしば見るようになった妙な夢。夢から覚めて目に先ず映ったものは、いつもの見慣れた天井。いつもの見慣れた壁。目覚まし時計を右手で取り寄せて、今の時間を確認する。もう起きなくては。リーガンはベッドから体を起こし、ゆっくりと大きく背伸びをした。

 須藤が住む世界とは歩んできた道を些か違えていた世界。

   ※ ※ ※ ※ ※

 十二月二十一日。早朝。
 空はどんよりと曇っている。竜巻の巣を彷彿とさせる重々しい雲が空一面を覆っている様は、人の不安を誘うに十分である。ところが、である。竜巻警報はおろか注意報さえ出ていない。そもそもこのブルックリンで竜巻が発生するなど、りーガンには想像も付かない。あんなものは広大な平原で轟々と暴れまくっているものだ。こんな高層建築物の並び建つ場所では、空気の流れが邪魔されて、せいぜい広場か公園で起こるつむじ風がせいぜいだ、多くの者はそう思っている。そしてリーガンもそう思う一人だ。
 せわしない朝。冷凍のパンケーキの上にベーコンをべたりと乗せ、一緒にレンジに放り込んで加熱する。ポリタンク状の容器からグラスにグァバジュースをどぼどぼと流し込み、フライパンで卵を焼く。アメリカでは、店の棚に置かれている段階で、卵はその新鮮さを失っている場合が多い。これが卵を購入する際に気を付けねばならない、日本とは異なる点だ。リーガンが用意したものは、黄身を堅めになるまで焼いた、一般的に言うなら「失敗作」である。このフライドエッグ、要は目玉焼きを、パンケーキとベーコンが一緒くたで仕上がった皿の上に蓋のように置き、その上からゴールデンシロップを回し掛ける。メープルシロップの独特のクセがリーガンは苦手だ。その点、英国食材店で売られている糖蜜のゴールデンシロップが好物で、専らこればかりを使っている。おおよそ日本人の味覚の範疇からは遠のいている(こればかりは個人の好みなので、一概に「遠のいている」とは言い難いが)代物を、朝食としてテーブルに置く。まだ眠たげな表情の息子ジョシュアがダイニングにやって来た。リーガンは書類鞄を持って来て、玄関に一番近い所にあるソファの上に放り投げると、ジョシュアに食べるよう急かせる。
 これがリーガン母子の毎朝の光景だ。
「また? このべちゃべちゃしたパンケーキ、僕嫌い」
「文句言わないの。今夜は美味しいもの作ってあげるから」
 げんなりした表情で皿の上の代物を見つめるジョシュアに、リーガンはマグカップに入れたコーヒーを、シンクの前で立ったまま飲みながら早口でまくしたてた。
「美味しいもの『買って来る』でしょ? キムのデリのコリアン料理が好き」
 こんな幼い子供が「コリアン料理が好き」ですって? あの赤だかオレンジだか分からない色の辛い煮込み料理が好き? あの生臭い中国キャベツのピクルスみたいなものが好き? しかしリーガンの料理の腕は、数千歩譲っても決して上手とはいえない。「今夜はヘルシー料理よ」と言って、ブロッコリーの上に塩胡椒とチェダーチーズをふり掛けて、レンジに放り込むのが関の山だ。これが最上級の高級版になると、ブロッコリーをオリーブオイルとにんにくで和え、やはり塩胡椒とチェダーチーズを振り掛けて、オーブンに放り込むという具合である。そしてこれがサイドディッシュでなくメインとなる。
「今日はキムのデリは無しよ。そうだ、ラザニアにしようか?」
「だからべちゃべちゃなの、僕嫌いだってば」
「あっそ。さっさと食べて。学校遅れるわよ」
 ジョシュアは皿の上の、たっぷりのシロップで表面がぬらぬらした目玉焼きを、フォークで数回突付いてはべたりとひっくり返して、しげしげと見つめ、そしてグァバジュースを数口飲んだ。
「もういらない」
 可愛げの無い子供。おまけに生意気だし。何処の誰に似たのやら。そう思いながらジョシュアを一瞥すると、リーガンは車のキーを持ち、ジョシュアに「さあさあ」と声を掛けつつ、どたばたと家を出た。
 リーガンの車はトヨタの古いセダンだ。その角張ったデザインから、日本では昭和の時代に走っていた頃の代物であることが窺える。ジョシュアを後ろのシートに乗せると、勢いよく運転席に滑り込み、キーをさしてクラッチを踏みつつ、キーを回す。車はきしゅんきしゅんと気の抜けた音を数回立て、そのエンジンを始動させた。
「ママ、マイロのパパの黒のプリウスは最高だよ。でもこれって……」
「うるさいの。口にチャック!」
 リーガンは車をバックさせて車道に出ると、前へと車を走らせ始めた。白い排気ガスが後ろでぶわりと立ち昇る。いい加減にオイル交換しなくちゃと思い、カーラジオのスイッチをオンにした。
 リーガンとジョシュアは、車内では滅多に会話らしい会話をしない。せいぜい、ジョシュアを送る学校の手前に来た辺りで、
「今日は先生に怒られない様にしなさいよ」
「今日の授業、ちゃんと聞きなさいよ。寝てばっかりらしいからね」
といった一言しか、リーガンは声を掛けない。ジョシュアもリーガンに自ら進んで話し掛けることは無い。なので、移動中に車の中で聞こえる音というと、走行中の車のエンジン音か、外からの音、そしてカーラジオからの音ぐらいなのである。
 ラジオからは昔懐かしい曲が流れている。イエスの「ラウンドアバウト」。八分半にも及ぶ長めの曲だ。リーガンはこうしたプログレッシブロックが好きで、よく聴いている。この曲はそんなリーガンの特にお気に入りのもので、ハンドルを握りながら鼻歌で曲のフレーズを辿っている。ジョシュアはそんな母を冷めた目で見ると、携帯ゲーム機を取り出して電源を入れ、早速に画面と睨めっこを始めた。
 曲と並行して、DJの陽気な声が流れ出した。話の内容は実にくだらないものが多いのだが、そんなことは別に気にしない。日頃「くだらない」と思える毎日を送ってはいても、そんな日常的な「くだらなさ」とラジオから流れる「くだらなさ」とは別物だとリーガンは思っている。日常を離れた「くだらなさ」。今の自分にはこれが必要なのだ。そんな思いが毎朝押し寄せてくる。だからこそ、このラジオ番組はリーガンにとっての「ガス抜き」ツールなのだ。

 曲が突如中断された。
「ええと。曲の途中なんだけどごめんよ。何だか妙なニュースが入って来ているんだ。ルーマニアのこと知ってる? ブカレストって都市が今、真っ黒な雲に覆われていて、真昼間なのに太陽の光が全然届かないんだってね。カリフォルニアの面々が聞いたら泣いて嫌がるだろうよ。お、ヌーディストのビーチじゃ闇に紛れて、更に大胆になっちゃうかもね」
 しかし冴えないトークだ。いつものことだが。リーガンは煙草を一本くわえた。ジョシュアが即座に反応して窓を開けた。
「それがどうやら、ブカレストだけじゃなくなったようだ……何だろうねこれ? ロンドンでも同じ現象に見舞われているって言うんだ。同じぶ厚い真っ黒の雲がいきなり出て来て、それも一気に広がって、今じゃブリテン島を包み込んじまったらしい」
 何なのだろうか? ロンドンで何が? リーガンの表情が訝しげなものに変わった。
「何だか、ま、いやぁ、しかし自然の力ってのはすごいね。変な前線でも来ているんだろうかね。でもあそこは年中曇っているか雨が降っているような場所だしね。そうそう、今ね、グーグル・アースで衛星からの映像ってものを見ているんだけどさ。こんなものが簡単に見られるってこともすげぇことだよ。で、イギリスの端っこしか雲から顔を出しちゃいないんだよ。大半はとぐろを巻いた真っ黒い妙なものに包まれちまってるんだ。おや、こりゃあ……」
 DJの声が詰まった。
「おいおい……ドイツと、こりゃ何処だ? ポーランドか? どこだって構わないけど、同じ雲が出てきてるじゃないか」
 突如、ラジオからの声が男性のDJの声から女性のものに切り替わった。
「番組を中断して速報をお送り致します。こちらはABC、ABCラジオのメラニー・ハーグリーヴスがお送りしております」
 馬鹿っぽい雰囲気が一変した。
「ルーマニア、ブカレストに続き現在、同様の巨大な黒雲が発生、都市や国土を覆っております。昨夜は中継が繋がっていたブカレスト市内を含め、当該地域がブラックアウトする状況が複数発生している模様です。先ず、イギリスのグレートブリテン島が、スコットランド北端のハイランドと呼ばれている一帯の一部、及びウェールズの西端、スウォンシーより西側の一部を除いた地域にて、積乱雲に酷似した正体不明の雲が発生、電磁パルス障害等が発生しており、通信網が途絶する事態になっております。そしてこの他にも、ドイツ北部から中部にかけて、ポーランドの全域、地中海のキプロス島を中心としてトルコ南岸地域にシリア西岸、レバノン全域、そしてイスラエル北部にかけて同様の雲の発生を確認、これらの地域からの音信は全て不通、併せて当該地域周辺を飛行中の航空機の墜落事故が数件報告されています」
 何だろうか。テロ? そんな大規模な地域を一気に巻き込むテロなど考えたくもない。しかし「雲」?
「ロンドンの住民によって撮影された映像が、動画サイト『ユー・チューブ』に現在アップされておりますが、これによると夜中のような暗闇が市街地上空を覆い、そのうち漆黒の霧状のガスが発生、市内を驚くべき速度で埋め尽くす様が映し出されております。この動画が投稿されてから約三十分後、通信網と共に、全てのネット回線も途絶状態に陥っています」
 そう言えば昔、そんな感じのイメージのホラー映画があったな、とリーガンは片手でハンドルを握りながら思い返していた。ジョン・カーペンター監督作品の「ザ・フォッグ」。悪霊が霧と共に海岸沿いの小さな町に上陸して云々という内容だったかと記憶している。
「政府は現在、大使館や領事館を通じ、各当該地域との連絡を試みているとのことですが、返信や返答は未だ一切ないとの公式発表がありました。この発表と併せ、大統領は米軍第五及び第六艦隊、及び南米海域にて展開中の第四艦隊を両艦隊の増援として、それぞれを現地に向け急行させたと発表致しました」
 車窓から出していた片方の手から、吸い掛けの煙草が路上に落ちた。
「どうしちゃったのかしら……」
 雲は前線の有無に関係なく「突如」発生したものらしく、発生原因は今のところ全く不明らしい。
「あ、お待ちください。新しいニュースが入りました。アメリカ東海岸時間で昨夜半から、アルジェリアとマリ国境付近で発生している砂嵐は、その規模を爆発的に増大させ、周辺地域を次々と襲い、都市や村を砂の海に埋め尽くしているとのことです。砂嵐は大陸中央を東西南北四方へと拡大しつつ、既にマリ、ブルキナファソ、ニジェール、チャド、南北スーダンの各国土全域、中央アフリカ北部、エチオピア東部、及びナイジェリア北部から中央に掛けての全域、カメルーン北部、各方面との連絡が途絶しております」
「エジプトからの報告では、南部のアスワン、そしてその北の観光地として名高いルクソールでは、観光の一時中止命令及び避難勧告が政府より発令されており、海外からの観光客の避難が開始されておりますが、併せて北部へ逃れる現地住民の数が一気に膨れ上がり、交通網が麻痺しているとのことです。またカイロ市内では、この砂嵐の襲来があるやもしれないという不安から、商店での食料品や飲料水等、生活必需分の買占め行為や、暴徒化した一部住民による略奪行為が多発、政府は軍を派遣して事態の収拾に奔走しているとのことです。現在、NATO軍は避難民移送の目的で現地に輸送機を飛ばし、目下対応中です」
 目前の信号が赤になり、放送に没頭していたリーガンは慌てて急ブレーキを踏んだ。
「痛い!」
 ジョシュアがつんのめって悲鳴を上げた。
「あ! ごめんなさい! 大丈夫?」
「もう……ママ!」
 世界情勢なんてものにはてんで疎いリーガンではあるが、本来報道関係の番組自体には関心があった。そして、この放送内容が事実であれば、今何かしらとんでもない事態が発生していることくらいも理解出来る。何かしら、普通の災害や天変地異とは趣きの異なる、妙で看過出来ない事態が。
「え? 何?」
 ラジオからメラニーの驚いたような声が洩れた。
「ああ、何てこと……また別のニュースが入って来ました。こんなことありえないわ……ええ、オーストラリアで現地時間十五日午後から発生している山火事ですが、爆発的に拡大し、現在周辺の大都市圏に延焼が及んでいます。その火はこれまでに見たこともないような『真っ黒』な色をしており、消防隊の消火活動が全く用を成していないとのことです。専門家の間では、何かしらの化学反応が発生しての黒色の炎なのではないか、との意見も出ておりますが、そのような現象は火災現場などで目撃された前例などなく、また水や消化剤にも全く反応せず、鎮火の様相を呈さないという現状は考えられないとして、未だに不明な点が多いとされています。オーストラリア政府により先程、非常事態宣言が出され、当該地域の住民の大規模な避難が開始されています。しかし各道路網、鉄道網は麻痺状態に陥っており、各方面へ軍が出動、事態の収拾に追われている模様です。政府の公式発表では、既に約二百名の死者や行方不明者が出ており、今後その数が増える恐れがあるとしております。火災は複数の地点で発生しており、現在東海岸のケアンズ、及びタウンズヴィルとの間の地域一帯では大規模な炎の帯で覆われており、二都市においても住宅やオフィスビルに延焼が及んでいます。また、首都キャンベラや南端のメルボルン、ベアズデールにも市内へ延焼が及んでおり、一部では住宅街一帯が炎上、数十件もの住宅が燃え崩れ落ちており、また高層ビルが炎の塔のようになって燃え盛っている様が目撃されているとのことです。キャンベラでは、国連本部ビル『ユニオン・タワー』のあるブロックから西へ五十キロの地点にまで延焼が広がってきております。各国大使や国連関係者の市外への脱出も現在進行中ですが、窓口の一つであるキャンベラ国際空港が黒煙で視界不良のために閉鎖され、また比較的近郊にあるシドニーのキングスフォード・スミス国際空港も……」
 信号が青になった。リーガンはゆったりと車を走らせ始めたが、まもなく車を路肩に停めた。路上には他にも何台かの車がテールランプを点灯させたままの状態で止まっている姿が見える。車内では、ある者は携帯電話で何かを話し、ある者はiPadを抱えて何かを凝視し、またある者はラジオのボリュームを上げて耳を澄ませている姿がある。彼等もこの異常事態を注視しているのであろうか。
 その時、車のフロントガラスをばんと掌で叩く男が見えた。驚いたりーガンはびくりと体を一度震わせると、その男に視線を向けた。黒い薄手のパーカーを着込み、フードをすっぽりと被った男は、一枚の厚紙に手書きで文字を書いたものを手にしていた。「REPENT」とそこには書かれている。「悔い改めよ」の意味だ。
「悔い改めよ。審判の日はもうすぐそこに来ている」
 ジョシュアが後ろのシートから身を乗り出してきた。
「ママ?」
「あ、何でもないわ。何でも」
「学校遅れちゃうよ」
「そうね、ごめん」
「今日遅刻したらママのせいだからね」
「え? あ、いいわ。今日はママのせいにして頂戴」
 リーガンは再びアクセルを踏み込んだ。
「続きまして東アジア情勢です。現在フィリピン沖にて展開中の第七艦隊は、昨日第三艦隊と合流、新生太平洋艦隊としてベトナム方面へ移動を開始しております。これは二週間ほど前の、中国人民解放軍南海艦隊との交戦において、中国軍空母『遼寧』及び『貴陽』、そして打ち上げ阻止に失敗し、現在ベトナム上空で展開中の衛星兵器『杭州』による猛攻により損失した戦力を充填した上での進軍となります。『杭州』は昨日、ICBM改『ピース・ガーディアン』による攻撃が成功し撃墜されております。今後、南シナ海での制海権を奪取、侵攻しベトナム北部にて展開している最中の中国軍を排除するための大規模な攻勢に……」
 天災の次は人災、戦争のニュースだ。朝から憂鬱な気分にさせてくれるものだ。
 リーガンは煙草に再び火を点けた。

 十二月二十一日。午後二時。
 リーガンは曇天の下、プロスペクト通りを書類鞄を片手に歩いていた。取り敢えずは某証券会社の中堅役員との契約更新手続きは終わった。何となく延ばし延ばしにしていた遅めのランチをとろうと、公園のほうへ進んでいた。あそこはブルックリン美術館や日本庭園がある。どちらともあまり興味はないが、それでもホットドッグにかぶりつく程度のことには最適なベンチぐらいはある。
 通りを歩いていると、電化製品の店の前に人だかりが出来ているのが見えた。リーガンは足を何気に止め、集まる人が凝視しているものに視線を向けてみた。テレビではまた「BREAKING NEWS」の表示と共に、物騒なニュースが流れているのだろう。今じゃ珍しくもない。その程度の気持ちで画面を見た。
 そこには凄惨な光景が映し出されていた。
「……これは先程入ってきた画像です。東京の新宿、並びに上野地区の映像です。市街地は殆どが破壊されております。東京で大規模な竜巻が発生しました。本来なら発生する確率はゼロに近いとまで言われている、高層ビルの建ち並ぶ地域での竜巻被害は、想像を遥かに超える被害を生み出しています。現在、東京を覆っていた部分的な積乱雲は西へ移動しています。東から西へ雲が流れていくものですが、今回のケースでは気流に『逆行』して雲が進む稀有な……いえ、先ずありえないであろう現象が発生しております。東京二十三区内のほぼ全域を巻き込んだ複数の竜巻、恐らくカテゴリーFクラスの巨大竜巻は消滅しておりますが、その竜巻を生んだ雲は同規模の新たな竜巻を再び生み出しつつ移動しており、現在は山梨県及び静岡県へと被害の範囲を拡大させております。死者行方不明者はその数はまだ分からず、被害規模はただただ甚大としか表現出来ません。その数は今後も増える見通しです」
 これまでもまともなニュースは流れては来ていなかった。小学校での子供による銃撃戦で教師が重傷を負っただの、何処かの国が一方的に国交断絶を叫んで、軍隊を国境に集結させているだの、化石燃料産出国同士の相互同盟結成と国連からの脱退、資源完全独占化への流れと周辺国の軍事行動がどうとだの、とにかく物騒できな臭い、要は人を信じないからこそ起こる事件のようなものが世間を席捲している。自分の国だって今は怪しい立場にいるのだ。詳しくは分からないし興味もない、知りたくもないのだが、現在は従来の国連を脱退し、独自の安全保障同盟を築く、このアメリカ合衆国と日本、韓国、東南アジア、南部欧州の一部諸国と、国連を後ろ盾とした英仏独西四カ国中心の新同盟とが睨みあい、おまけに中国が台湾や南方諸国へ侵攻、米軍とも交戦状態に陥ってしまっている。こうした動きに何も出来ない国連は完全に形骸化してしまっていて云々なんてことになっているのだが、それよりも日常の生活で既に手一杯なのだ。
 治安は元々悪いのだが、更に輪を掛けて物騒になっている。十代に至っているのかどうかさえ疑わしい子供が一丁前に武装し、集団化して商店や住宅街を襲撃する。そんな子供相手に警察はまともに銃を向け、射殺することさえ厭わない。今じゃ未成年者を保護するような法律は撤廃されてしまっている。未成年者、特に十代になったばかりの子供による犯罪の発生率は、他世代の者による犯罪発生率と比例して増加している。
 物価だってふざけているほどの上昇振りだ。銀行の資産は一定額を超えた資産は国家権力で凍結され、新たな名称の税金だか何かで強制徴集されている。資産家達はそんな国に対してあからさまに反旗を翻す態度を表面化させ、本拠地を国外にどんどん流出させている。とにかく頭痛の種にならないような、心穏やかな出来事やその知らせは、最近じゃついぞ見かけないし耳にもしない。
 そこに来て、いきなり世界的に連続発生しているこの妙な天災だ。これじゃあ、まるで神が世界に三下り半を突き付けたかのようにも思えてくる。

 突然、市街地を強風が吹き荒れ始めた。リーガンの髪が宙に舞い上がり、肌を冬独特の風の冷たさが襲い、刺すような感触を残していく。通りのゴミが舞い上がり、新聞やチラシ、空の蓋付き紙コップなどが暴れ回っている。頭上の電線が揺れ、轟音が耳に響く。いきなりの暴風に驚いた通行人達は、コートの端を手で押さえ、首をすくめつつ歩みを速めている。空を覆う雲の動きが目に見えてとんでもなく速くなり始めていた。だが一方からもう一方へと風に乗って流れていくという動きではなかった。雲の流れは一部で澱みながら、幾つもの渦を描くように動き出している。
 辺りが急に薄暗くなり始めていた。今はまだ午後二時になったばかりだ。年末ということもあり、陽が暮れる時間も早いことには間違いない。だが、こんなに早く辺り一面が暗くなるなどあり得ない。リーガンははっと思い出した。世界で発生している正体不明の黒雲。辺りが夜中のように真っ暗になり、やがて外部との交信が途絶してしまう……
「まさか、ね」
 リーガンの胸中に妙な掻痒感に似た感覚が起こり始めていた。 
 そうこうしているうちに車はヘッドライトを点灯させ、信号の明かりが薄暗がりの中に転々と連なっている様が見え出していた。人々は驚き慌て、その足取りを急がせてばらばらと散っていく。リーガンは携帯電話を取り出し、会社に連絡を入れた。息子のことが急に気になり出していたのだ。アポでの契約更新は終わらせた、次の予定は今のところ特にないのだから別に構わないという思いがあり、リーガンは早々に用件を言うと一方的に電話を切った。息子を迎えに行ったほうがいい。先ずは車を取りに行かなくては。

 ブルックリン、いやニューヨーク全域の上空の雲の渦はその数をどんどん増やし、その直径を拡大していった。
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