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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第三章 「ままがいるよ」

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「ぱぱへ
 がっこうおわったよ
 かんじのぷりんとたくさんあるよ
 ぱぱもがんばってね」

 下駄箱から通学用のシューズを取り出して下に置き、それに爪先を入れながら須藤啓吾は父親宛ての携帯メールを送信した。
 父、須藤一樹との毎日の日課だ。仕事で不在がちな父との主なコミュニケーション・ツールとして、啓吾は携帯でのメール交換を利用している。返信は必ず、そしてまめに送られてくる。

「けいちゃんへ
 きょうもがんばったね
 かんじたいへんだね
 スイミングいくまえにすこしやろうね
 パパもがんばるよ
 けいちゃんのパパより」

 文部科学省が、小中学校における携帯電話の持ち込みを原則的に禁止する方針を教育委員会に通知して以来、携帯電話の持ち込みを禁止する学校が増えている。ただ、あくまでも「原則的に」ということになっているので、学校の方針にお構い無しで携帯電話を持たせる親はいる。学校の方針を「何を馬鹿なことを」として一蹴しているような親達の思惑とは別として、須藤親子の場合は明らかに「息子の安全確認」の意味合いを持っている。学校にもあらかじめその旨を伝えてはある。教師側からは二つ返事で承諾を得ている(担任は渋々だという表情をしてはいたが)。
 時には遅くなることもあるが、啓吾は忠実に送られてくる父からの返信メールをいつも楽しみにしている。メールは通信手段であり、情報交換であり、決して会話ではないという言い分があるが、少なくとも啓吾にとっては、このメールは間違いなく父との会話である。
 携帯電話は啓吾が二年生に進級してから手渡された。須藤は余分な機能は教えず、またロックも掛けた。父から文字入力方法とメールの送受信方法、これらのみをしっかりと教えられたおかげで、こうやって啓吾は父の存在を間近に感じることが出来るようになった。自分のことを温かく見つめ続けてくれる父の存在を。

 仕事でどれだけ帰りが遅くなっても、父は朝には必ず啓吾より早く起床し、温かい朝食を用意してくれている。夕食や、時には昼食もなのだが、そしてまたレンジで温め直さなくてはならなくても、それでも手作りの食事を必ず用意してくれる。父の休みの日は啓吾と二人での水入らずの時間だ。一緒におやつを作ったり、公園でサッカーボールを二人で追い掛けたり、公園の池でボートに乗ったり、一緒にゲームをしたり、そして啓吾の話すことに父は何でも耳を傾けてくれる。そんな父、一樹の姿を啓吾は二年近く見続けている。子供なりにそんな父の奮闘ぶりは理解しているものだ。夜、先に床に就いている時、遅く帰ってきた父はそっと傍に歩み寄って、「ただいま」の挨拶と共に頭を優しく撫でる。ふと目を開くと、満面の笑みを浮かべた父の顔が目の前にある。時々悪戯心で狸寝入りなんてこともする時があるが、決まって父は啓吾の横に来て、温かい手で頭を撫で、頬にキスしていく。そのキスがなんともくすぐったく感じて、啓吾は軽く身震いをする。
「あ、起こしちゃった? ごめんね」
 父は決まってそう言うが、悪びれて見えることなんて全くなく、寧ろ嬉しそうにしている。そして顔を寄せ、温かい眼差しで見つめてくる。一人でいる時、全く寂しくないと言えば嘘になる。父のそんな穏やかで優しい存在を感じる一瞬一瞬が啓吾はたまらなく好きで、この瞬間があるからこそ、一人でも耐えられるのだ。
 啓吾は実に健気に振舞う。須藤もそれを十分に感じ取っていた。一時、家庭教師兼、啓吾の見守り役として大学生のアルバイトを雇っていた。ところが、トルコだか何処だかへ留学するというので辞めており、代わりも見付かっていないので、現在は啓吾は家に帰れば一人である。

 背中のランドセルをかたかたと音を立てて軽く上下に揺らし、今日も啓吾は神楽坂にあるマンションに帰り着く。ガラス一枚板の自動ドアをくぐる。セキュリティの兼ね合いで入り口は二重になっている。二枚目の扉の前にある縦長のボックスには数字キーが並んでおり、そこで啓吾は自分の住む居室のルームナンバーを押す。すると二枚目が開くので、そこを入りすぐ突き当たりにあるエレベーターに乗る。十四階のボタンを押すとエレベーターはゆっくり昇り始める。扉が開くと、目の前にある吹き抜けを右に曲がって居室の前に立つ。ポケットから熊のキャラクターがデザインされたホルダーの付いた鍵を取り出して鍵穴に入れ、ステンレスの冷たいノブを右に回して中に入る。がちゃんと鈍い音がすると、扉の向こうに薄暗い廊下が目に映る。典型的な三LDKの間取りだ。ランドセルをリビングにある茶色のソファの上に置くと、すぐに窓の傍の棚に置いてある小さな仏壇に向かい、啓吾は手を合わせた。
「ママ、ただいま」
 昨年春に逝去した啓吾の母であり、一樹の妻だった女性、真弓香の写真が置かれている。純白のブラウスを身に纏った笑顔の女性がそこにいた。肩まで届く髪はシルクの反物のように滑らかで美しく、ふくよかな頬と白い肌、些か童顔気味のコントラストが実に印象的な女性。真弓香の三十一歳の誕生日にリビングで撮ったものだ。当時まだ六歳の啓吾が、小さい手でこわごわとデジタルカメラを持ち、その手を覆うようにして、啓吾の目線にまで顔を近付けた須藤が自分の手を置き、啓吾の指越しにシャッターを切ったものだった。その二人の姿に最高の笑顔で応えた真弓香の写真は、そのまま自身の遺影となった。

 昨年の四月末のある日、夕飯の買い物を済ませて帰路につく真弓香を、不幸の魔手が何の前触れもなく襲い掛かった。道幅に似つかわしくない速度で車を加速させていたその営業マンは、ハンドルを不器用に片手で握り、道中にコンビニエンスストアで買ったコーヒーのアルミ缶ボトルのキャップを回した。中に窒素ガスが充填されていて、キャップとボトルの間からコーヒーの飛沫が飛び、彼が来ていたホワイトカラーのシャツの前を汚した。時間が足りないと焦り、且つ苛々していたその男は思わず大声を上げて、シャツに付いた染みに視線を落とした。一瞬の隙だった。彼の車はその一瞬だけでコントロールを失い、対向車線を飛び出し、真弓香の前へと飛び込んでいった。小さな体は車のボンネットの上をごろごろと転がり、買い物袋は宙を舞って、割れたくす玉の如く、中身を周囲に撒き散らした。
 それは月一度の社員の全体会議の最中だった。会議中は基本的に電話に出ない須藤は、病院からの電話を取り次いだ社員が出した一枚のメモを目にし、我が目を疑った。
「大至急連絡願います。××××‐×××× 東京〇〇病院」
 何故病院から? 異様なまでの胸騒ぎを覚えた須藤は、「ちょっと済まない」と一言残し、別室から電話を掛け直した。
「ご主人ですか? 奥様が交通事故により心肺停止状態で当病院に搬送されております」
 頭の中が一瞬で真っ白になった。事態が飲み込めないまま、最善の処置をしてくれと口頭で返答をした須藤は、丸山に「嫁さんが救急搬送された。危篤状態らしい……丸さん、済まない」と小声で言って頭を下げた。そして頭を上げると駆け出していた。
 須藤はハンドルを握りながら動転している頭の中を整理した。
「焦っても自分に今何かが出来るわけではない、落ち着け、落ち着くんだ」
 そう自身に言い聞かせた。前方の信号が赤に変わった。先ずは震える右手を左手で抑え、それから携帯電話で学校に連絡を入れ、啓吾を迎えに行った。授業参観でもない日に父が学校に来たと知った啓吾は、内心ちょっと嬉しい気持ちになった。しかし父の表情は明らかにいつもと違っていた。「どうしたの?」と訊く我が子の声は須藤の耳には届いていなかった。「大丈夫だ、大丈夫だ……」と呟き続ける父の顔を助手席から啓吾はじっと見詰めていた。
 何処をどう車を走らせたのか、全く定かではなかった。的に命中する弾丸の如き勢いで到着したその瞬間は、まさに真弓香の蘇生術が終わったところだった。
「ご主人ですね? ドクターからご説明があります」
 それからの事はまるで、須藤自身の周りの時間や空間が何らかの力で歪んだように思え、その中で全身を翻弄されているかのような身の感覚だけが脳裏に焼き付いている。黒いタールの波に巻き込まれ、目の前が真っ暗になった世界で、ドクターの言葉だけが何度も反復され、それが重い木霊となって何時までも鼓膜を震わせた。その黒き波は須藤の足元に澱み出し、決して前へ進み出させまいとその足首に纏わり始める。
「お気の毒です…………」

 啓吾の目には母が普段の姿のように映っていた。死化粧を施され、鼻孔に白い木綿を入れられた母の、目を閉じたその美しき表情は、窓の傍のソファで普段うとうとと眠っている時の姿とあまり大差がないように啓吾には思えた。悪戯心を出した父が時折、
「ほら、ママを起こしちゃえ。こちょこちょって」
と笑い、啓吾の体をくすぐりながら言っていた時の記憶が甦る。
「ママ、こちょこちょしたら起きる?」
 ぽつりと啓吾は呟いた。そんなことをしても母は二度と起き上がらないことは何となく分かっていた。
「もう、けいちゃんったら……やだぁ」
と言いながら目を開き、「こらぁ」と言ってくすぐり返してくる母の笑った顔は見られない。父と母と啓吾と三人で、そうやって笑って迎えている日曜日の晴れた午後のような時間はもうやって来ないのだ。
「けいちゃん、ママ……お休みさせてあげようね」
 父は一言だけそう言った。それが全てを表していた。小学校一年生になったとはいえ、肉親の死というものを実感を込めて理解することは困難だ。頭では何となく分かったとしても、心が納得してくれないのだ。成人でもそんなことはままある。幼い子供なら尚のことであろう。啓吾の目から涙は出なかった。何かしらの夢を見ているような感覚がどうにも抜けない。

 母は木の箱に入って、黒くて長い車に乗せられ行ってしまった。父と共にその車の行く方向へ進む。程なくして着いた、広く冷たい石の床の建物でもう一度だけ母の顔を見る。先程と全く変わらない寝顔。手で触れたかった。母の顔に触れたかった。だが怖い。自分の親の顔に触れるだけなのに無性に怖い。啓吾は口をきゅっと結んで、手を引っ込めていた。
「ママにさよならを言ってあげなさい」
 その言葉で啓吾は悟った。悟らざるを得なかった。これは夢などではない。父の顔を見る。父の目は赤かった。涙がこぼれんばかりに浮かんでいた。だがそれを父は堪えていた。啓吾の前では涙を見せまいと踏ん張っていたのだ。父の言葉はいつものように優しかった。しかし小刻みに震えている。
 この時になって母の顔をまっすぐに見られない。悲しいと言うよりも、人の死が如何なるものかを理解すると言うよりも、母が何処かへ行ってしまうことへの恐怖と不安がその時は強かった。
「ばいばい。またね」
 後悔と言う感覚、またはその言葉そのものを啓吾はまだ知らなかった。それでもさよならと言うと「嫌」な気持ちになりそうだったのだ。それだからこその口から出た言葉が「またね」。精一杯の言葉だった。

 マンションから約五十メートル離れた場所にコンビニエンスストアがあり、啓吾の通うスイミングスクールの送迎バスが来る。少しばかり時間があるので、啓吾は宿題の漢字の書き取りを始めた。書きながら、おやつのシュークリームを頬張る。宿題をしながらの「ながら食い」は父に見られたら注意されるところだが、今はゆっくり食べている余裕が余りないから止む無くだ。だがそこはまだ子供、宿題はそっちのけで、すぐにシュークリームに夢中になった。
 食べ終わる頃になって、啓吾は「視線」を感じた。誰かが自分を見詰めている……止めなさいと言われる食べ方をしたから、後ろめたさが先に立ってそう感じるのか。表面に掛かっていた粉砂糖を口の周りにくっ付けながら、右に左にと啓吾は顔を横に向け見渡した。部屋の中は啓吾一人だけだ。だが確かに何かを感じていた。子供ならではの本能的な敏感さが何らかの「異変」を伝えて来ている。だがその正体は分からない。無性にその場に居辛くなり、啓吾はリビングの隣にある書斎へ走って向かった。そこは父の書斎であり、そして啓吾の勉強部屋でもある。父の机と啓吾の勉強机とが隣り合わせに置かれている。啓吾は、自分の机の脇に置いてあった、スイミングスクール用の水着やタオルを詰めたナイロン製のトートバッグを肩に掛けると、逃げるように外へ出て行った。
 送迎バスの乗車地であるコンビニエンスストアまでの道程を、啓吾は息を切らせながら全力で走った。店の前の駐車場に駆け込んだのと同じタイミングで、スクールの白地にオレンジ色のラインの入ったデザインのワンボックスカーが現れた。
「こんにちは」
 運転手が啓吾に声を掛ける。啓吾はたたみかけるような早口でこんにちはと返答した。啓吾が座席に座りシートベルトをすると、車はゆっくりと走り始めた。啓吾は車窓から今し方走って来た、マンションへ通じる小道を横目で見た。

 そこに、本来なら決している筈のない人物が立っているのが目に映る。啓吾は目を見張った。

 須藤のスマートフォンにメールが届いた。啓吾からだ。もうスイミングスクール行きの車に乗っている頃だから、「行って来ます」の内容のメールかな? と思い、須藤は画面を見た。「受信メール一件」のメッセージを開けてみる。送信者は「啓吾」。
 そこにあった文面を読んだ須藤は、何かの悪戯だろうかと思った。

「ぱぱへ
 ままがいるよ」



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