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 ←第二部 第一章 新宿騒乱 【前編】  →第二部 第三章 多々良
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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第二部 第二章 新宿騒乱 【後編】

 ←第二部 第一章 新宿騒乱 【前編】  →第二部 第三章 多々良
 黒い靄、いや黒煙は今や新宿御苑の西休憩所を中心とし、区役所のある歌舞伎町一丁目や五丁目の厚生年金会館周辺、そしてJR代々木駅に明治神宮、千駄ヶ谷一、四、五丁目、そして国立競技場の北端から大京町にかけての円形地点の中を、建築物を破壊し、逃げ惑う人々を傷付け、命の灯火を消し去り、そして縦横無尽に飛び交っている。そのすぐ近くには赤坂御用地がある。新宿署員だけではなく、あらゆる所轄の機動隊が該当地区に向けて派遣されつつあった。また、皇宮警察の警護班は皇太子一行の傍にぴったりとくっ付きながら、緊急避難用の地下施設への避難を図っていた。
 空を駆け巡る暴力の塊が御苑から伸びていることに気付いた新宿署員は、内心びくつきながらも御苑に向かった。突入に関しては、現在成田方面から急行中のSAT部隊の到着を待っての指示となっていた。だが、御苑は広域非難場所の一つにもなっている。そこに逃げ込んだ人達を先ずは保護し、安全な場所へ誘導すること。これが先ず優先されるべき事柄だ。安全な場所は何処か? このような特殊過ぎる状況は、どの署員にとっても経験のないことではある。だが、少なくとも屋外ではないと判断され、比較的大型な建築物の中、しかも奥のほうか地下スペース、或いは地下鉄各線の駅構内へと誘導することと急遽決まった。問題は人数である。平日とはいえ、今はまだ午後九時になろうとしているところだ。屋外には膨大な数の人がいる。それを収容出来るだけの施設があるのか? 
 車内無線に悲痛な声が響く。
「さ……サザンタワーに大穴が開いてる!」
 どうやら小田急ホテルのことを言っているようだ。
 助手席にいる多々良は脂汗を額に滲ませながら、しかし口元を固く結んでいた。気を落ち着けることに手一杯だった。
 いくら緊急車両とは言えども、署を出てすぐに車は先に進めなくなった。多くの車両が止まったまま、テールランプをこうこうと照らしている。
「降りるぞ! 急げ!」
 青梅街道沿いではどうやら被害は出ていないようだ。人の流れは今、新宿中央公園、高層ビル群地区へと流れている。走り逃げる人の流れに逆らいながら、多々良達は新宿駅のほうへと走っていった。息を切らせて走る多々良の目に、東京モード学園のシュールなデザインのビルが恨めしく映る。
 普通に考えれば、わざわざWINS近くの店舗でなくても良かったのだ。たまたま多々良がそこへ出入りすることが多かっただけで、そこ以外にも、同グループの店舗は幾らでも点在している。同業他社展開の店舗だってある。そんな別の店舗を「拠点」にしても良かった筈。なのに、この夜も治美はそこにいた。そしてこの災難の真っ只中に放り込まれたのだ。とは言っても、今そんなことを頭に浮かべている余裕などない。
 多々良の目の前で、新宿エルタワーの高層階が砕け、破片を地上へと振り撒いている。真っ黒な煙の塊はビルの頭を砕き、そのまま急旋回を掛けると、御苑の方向へと戻っていった。そのついでとでも言わんばかりに、小田急ハルクの天辺を粉砕していく。
 何処から聞こえてくるのか分からない、妙な声も耳に響いている。この声は何なのだろうか。まるで全方位に向けて、何かの凱旋車がはた迷惑にも騒音を立てているようにも感じられる。
『滅びよ』
「ふざけんなっ!」
『享受せよ』
「何をおっ?」
『我の存在を認めよ』
「知ったことかあ、ボケぇっ!」
 多々良の同僚が返事でもするかのように喚いている。
 後方にある常泉院の辺りで爆発音がした。多々良が振り返ると、その辺りから黒煙、いや、あれは「龍」だ。ファンタジー物語で見掛けるような「ドラゴン」のままの形を採った異物が音を立てて舞い上がり、西新宿方面へと空を猛進して行った。
「何だってんだよおおおっ!」
 通りの誰かが、ほぼ絶叫に近い大声を張り上げている。

 トルソは今、御苑の西休憩所に立ち、黒き異物で破壊者を睨み付けていた。その者は今や靄や煙状の存在ではない。真っ黒な人型となり、腕を組んでいる。
 その者は右腕を上げた。するとあちこちに飛び回り、暴れ回っていた煙や靄の断片らが集まってきた。みるみる、その者の体が「重質量」を持つ固体へと変貌していく。
「貴様……!」
 トルソは苦虫を噛み潰したかのような表情をその者に向けた。
「おいおい。『貴様』とは失敬だね。私は『畏怖』だ。ちゃんと呼称がある」
 その者はそう自称すると、空に向けて上げていた右手を下げてトルソに向け、第二指を立てると、ゆっくりと左右に振った。
「知らぬ!」
 トルソは剣を振りかざし突進を掛けた。だが振り下ろされた剣を手で受け止めたその者は、くくっと低い笑い声を上げる。
「慌てなさんな、雑兵」
 そしてトルソを三十メートル近く遠くへ弾き飛ばした。トルソの体は、木々がどろどろに溶けて変質した、泥状のものの上に落ちた。汚い飛沫が周囲に上がる。
 その者の体の表面が金属質に似た光沢を帯び始めた。「畏怖」はその顔をきっと上に上げた。その瞬間、全身に「装飾」めいたものが纏わり付き始めた。今、「畏怖」は身長にして三メートル近い長身の者となり、その身に金属製の漆黒の鎧を装備している姿となった。その鎧はトルソ達や、過去の歴史上に見られたものとはかけ離れた、先の尖った多数の「突起」を持ち、マントのような金属板を背にはためかせ、併せて悪魔の翼を髣髴とさせる金属の翼を付けている。関節部分にも突起が外向きに付き、その頭部には、何かしらの神話上の獣の頭部をもじったかのような兜がある。
「知っている。『寂寥』の奴は油断したのか、でなければ力を集めていなかったのだろう。だが私は違う」
 余裕のある口調で「畏怖」はトルソに語り掛けた。その手には何時の間にか、トルソの持つものとは刀身も刀幅も増した大剣が握られていた。
「私にも余裕はある。だが、それはお前とはかけ離れているだけの力があるからだ。だから、お前と同じ立場になって手合わせしてやることにした。どうだ、私も騎士だ。似合うか?」
 そう言うと、「畏怖」はその体をくるりと回し、娘が服を友達に見せるが如きポーズをした。
「ふざけるな!」
 トルソは再び「畏怖」に突進する。
「学習能力がないのかね、お前は?」
 トルソの斬撃を「畏怖」はその大剣で受け止めた。火花が散る。
「ほう。お前の剣、消えないね。流石だと褒めてやろう」
 トルソの精神力を「畏怖」はそう言って嘲笑った。そして剣を受け止めつつ、左足を軸にして体を一閃させ、右足でトルソの左脇に強烈な一撃を加えた。
「ぐあっ!」
 声を上げたトルソの体は再び離れた場所へ飛んでいった。
 その更なる向こうに大勢の人影が見えた。御苑に逃げ込んできた者達だ。
「ここを離れろ! 逃げるんだあっ!」
 痛む脇腹を押さえつつ、トルソは叫んだ。
「逃がさないさ。当然」
 避難してきた群衆を視界に捉えた「畏怖」は一言呟き、彼等目掛けて大剣を一閃させた。黒色の靄の塊がアルファベットのUの字の形となり、群集目掛けて飛んでいった。トルソはすかさずその靄の前へ飛び出ると、自身の剣で靄を両断した。「畏怖」は何度も大剣を振り回し、同様の靄の塊を撃ち出す。その殆どをトルソは受け切った。だが、そのうちの二本がトルソの剣を逃がれ、群集のほうへ高速で飛んで行き、十数名かの人数の胴体を上下に両断した。新たな悲鳴が上がり、残った者達は我先にと御苑の敷地を逃げ出そうとした。
「連中の恐怖の感情が私の力の源。さあ、もっと怖がれ。そして滅びよ。愚物たる人間ども!」
 高笑いと共にそう言うと、「畏怖」はトルソよりも先に、トルソ目掛けて突進を掛けた。両者の剣が交差し、力任せに当たり合い、その度に真っ暗な御苑の中で眩い火花を散らせた。
 止まぬ「畏怖」の斬撃をひたすら受け続けているトルソは、じりじりと後方に下がる一方だった。明らかにごり押しされている。トルソは内心焦りを感じ始めていた。だが、「畏怖」が全力を以って向かって来ているとはとても思えない。この者にはまだまだ余力がある。余力どころか、子供との戯(ざ)れ合い程度にしか捉えていないのであろう。
 トルソの纏う黒革の衣服に裂け目がどんどん現れ、そこから鮮血が舞い散っていた。猫が鼠を弄ぶかの如く、今トルソは「畏怖」に遊ばれていた。そう感じた途端、「畏怖」はぐるりと体を一回転させ、サッカーでのオーバーヘッドキック宜しく、トルソの顎を蹴り上げた。トルソの体もそこそこの巨体である。日本人の群集の中でだと、その長身が上に飛び出し、なかなか目立つだけのものがある。その体が蹴り上げられた空き缶のように軽々と舞い上がり、池の中に落ちた。
 池の傍にゆっくりと「畏怖」は歩み寄ると、大剣を持つ右手を下ろし、左手を上げて、その指先から黒色の靄を撃ち出した。池の水もろごと、トルソの体は宙へと飛ばされた。
「全く。美学だか何だか知らぬが……」
 やれやれとでも言いたげな口調で「畏怖」は言った。
「成人の陰の気よりも、子供の持つもののほうがより純粋で美しい? 潜在的なる力がある? とか何とか言ってないで、とっとと決め込んでしまえば良いのだ」
 痛む全身を上げ、剣で支えながらトルソは立ち上がった。
「この世界に満ち溢れる全ての陰の気を使えば、こことお前のいた世界との『境界』ぐらいぶち抜けると言うものだ。そうすれば、一気に進軍してもいいと私は思うのだがね」
 腕を組み、「畏怖」はトルソに語り聞かせている。
「だが、センチュリオン達はそれを許可しない。大神タナトスを目覚めさせるには、それよりもやはり、純粋らしい子供の陰の気が必要なんだそうだ」
 トルソはよろめきながら、再び剣を構える。だが、それは防御の体勢であった。「畏怖」との力の差があり過ぎる。トルソは感じた。背中を冷たいものが走り抜ける。
「お前、恐怖を感じているな?」
「畏怖」はトルソを悼むような口調で言った。
「それが自然だ。恐怖と絶望。これを知らぬ者は強くなんぞなれんからなあ」
 組んでいた腕を下ろし、「畏怖」はゆっくりとトルソのほうへと歩み寄る。そして左手の指を軽く弾き、靄の玉をトルソの剣へと飛ばした。それは刀身へと当たり、その部分から上をぼきりと折った。折れた刀の欠片は、地面に落ちて行くまでに蒸発するように消え去った。それを見たトルソの表情が変わっていく。
「さて。お前の精神防壁は崩れたようだ。他の仲間達と同じだ。今やお前は私の一撃で、その体を、いや存在そのものを煙のように消されてしまうだろう。ん? どうする?」
 トルソの足下が震えだした。明らかな恐怖を、そして絶望を感じる。
「まだやるかい? やめておこうか?」
 おどけるように「畏怖」は言った。
「これ以上やっても、私は面白くない。やり甲斐もない」
 ゆっくりと「畏怖」は首を横に振る。
「…………!」
 トルソには返す言葉がなかった。だがここで引き下がるわけにはいかない。この者に対抗出来るのは自分しかいないのだ。この「畏怖」なる者を放置しておけば、この世界はとんでもないことになる。多少の時間の後、確実に全てが潰されるであろう。自分が倒れれば、それは即ちこの世界の滅亡に結び付く。何としてでもこの者を倒さねばならない。これ以上、この世界の者達の命を奪わせるわけにはいかないのだ。
 トルソは息を整えた。だが「畏怖」から放たれる無数の黒き靄の「棘」を避けることで精一杯で、気を沈める余裕が持たせられなかった。剣で「棘」を受ける。しかし、今先程よりは落ち着きを取り戻したとしても、刀身へのダメージは目に見えるほどはっきりしたもので、刃こぼれがどんどん進む。そのうち、ぴしりと嫌な音を立て、刀身に縦にひびが入る様が見えた。 
「お前等、動くなあっ!」
 その時大声が響く。御苑に入ってきた新宿署の面々だった。
「駄目だ! 逃げろおっ!」
 トルソは再び叫ぶ。
「やれやれ、だ」
 呆れたように「畏怖」は言い、その体をふわりと宙に浮かせ、十メートルほどの高度に達すると、集まってきた署員達に向かって、同様に「棘」を射出させた。何人かがその犠牲となり、半身、または足先や手先だけを残して消失した。残った者達は一斉に携帯していた銃を構え、「畏怖」目掛けて撃った。黒色の鎧に弾丸は当たらない。それ故ダメージどころか傷一つ付けられない。「畏怖」は軽く身震いをした。靄のカーテンがその前面に出来ると、弾丸は当たるどころか、その手前で黒い靄となって蒸発するが如く消えていった。
「ば、ば、化け物!」
 署員の一人が怯んで声を上げる。
「化け物とは失敬な。私はお前等からすれば『神』なのだぞ」
 首を軽く横に振りつつ「畏怖」は失笑し、大剣を一閃させて「鞭」を打ち出した。黒色の「鞭」はそこにいた署員を残らず吹き飛ばした。
「やめろおおおおおっ!」
 叫ぶトルソに向かい、踵を返した「鞭」は急速に飛んでいった。何とか横に飛び退き、それを避けたトルソの目の前に「畏怖」は降り立った。
 トルソは「畏怖」を見上げた。
「いい表情だ」
 そう言うと「畏怖」は左手の平をトルソの頭上にかざした。
 その時、一発の弾丸が「畏怖」の兜に命中した。

「糞ったれがあっ!」
 多々良がそこにいた。銃を構え、「畏怖」を睨み付けている。「畏怖」は多々良のほうに視線を向けると、ゆっくりと首を傾げた。
「はて……何故当てられたのだ?」
 多々良は明らかに震えている、恐怖に支配されているように見受けられる。だが多々良の放った弾丸は途中で消失せず、傷こそ付けられなかったが、それでも「畏怖」に命中した。それが「畏怖」には不思議に思えたのだ。
「お前に……お前なんぞにこれ以上やられるかあっ!」
 多々良は渾身の力を込めて叫んだ。今、多々良の頭の中には治美のことが浮かんで消えなかった。今頃どうしているのかは分からない治美。だが無事でいてもらいたい。無事だと信じていたい。
 治美に手出しさせない。守ってやりたい。いや、守る。
 多々良の心はその気持ちで一杯だった。そこにあるのは、好きな者を、大事な者を守りたいという一心。それが故の、僅かな可能性に賭ける勇気でもあった。
「愚か者め……」
 多々良に向けて左手の平を向けた「畏怖」に向かい、トルソは渾身の突進を掛けた。
「うおおおおおおっ!」
 迷ってなどいられない。いや、もう迷っていない。今、自分が出来ることをするのみ。ならば、今はこの世界の者をこれ以上傷付けさせない、一人でも多くの者をこの「畏怖」から守る。トルソはその思いで今、その精神を統一させていた。
 トルソの体は消失はしなかった。それどころか、「畏怖」の体を突き飛ばし、地に倒れさせることが出来た。
 トルソは多々良を見た。そして、その目で確かに見た。多々良の姿に、うっすらと白き光が立ち上る様を。
 トルソは叫んだ。
「光よ! 我と共にあれ!」
 トルソは再び剣を構えた。何時の間にか剣はそのひびを消し、折れた先は元に戻っていた。トルソ自身の体にも、気付かぬ間に傷が消えている。
 力が戻ってくる。
「そこの者! 周りの皆を逃がせ! ここから早く去るんだ!」
 トルソは多々良に向かって叫んだが、多々良はトルソにも銃口を向けている。
「お前も何だか知らんが動くな!」
 多々良にとって、目の前の「二人」、いや、片方は人なのかどうか分からなかったが、どちらにせよ敵としか認識していなかった。
「私は敵ではない! 早く行け!」
 そう言うと、トルソは再び「畏怖」に向けて斬撃を繰り出した。一度逆転されかけた状況は再び戻り、それどころか「畏怖」を押し返していた。その纏う鎧に火花が散り、欠片が地面に落ち始めた。多々良は銃口を定められず、左右と不安定なまでに銃を動かしていた。
 驚いたのは「畏怖」のほうだった。まさか、再びこの男が自分目掛けて剣を打ち出すとは、全く想像にもしていなかっただけでなく、余興がてらとは言え、それでもこの鎧が砕かれているなど、考えも付かなかったことであった。
「貴様あああああっ!」
 今度は「畏怖」が叫んだ。怒りが突き上がってきた。
「感情を破壊するとか言う割には、貴様はその感情に動かされるのか? 畏怖とやら!」
 トルソは右へ左へ、上と横から打ち出す剣の手を休めずに突進し続けた。「畏怖」の大剣が目の前に突き出されたが、それをトルソは飛んでその身を翻して避けた。そして着地する前に新たな斬撃を真上から振り下ろした。「畏怖」の兜に打ち下ろされたトルソの剣は、その兜を縦に撃ち割った。兜は両断されて地に落ちた。そしてその場で煙のように消失した。
 一瞬怯んだ「畏怖」は後方へと飛び下がると、その身をぶるぶると怒りで震わせた。
「遊びは終わりだ、雑兵!」
 叫び終わった「畏怖」は両腕を上げ、ふわりと宙へと浮き上がった。約二十数メートルほど舞い上がった「畏怖」はその場で体を静止させる。
「圧倒的な力の差を教えてやる……」
  
 夜空を真っ黒な雲が幾筋も流れていた。そんなに風が強いわけでもない。だが雲の動く速度は高速で、まさに雲のそれではなかった。それだけではない。風向きに逆行して動いてもいるのだ。
 それらは北東の方角から集まってくる。
 トルソは言葉を出せないまま、その光景に見入っていた。そして、それは多々良の目にも見えていた。
「おいおい……何なんだよありゃあ……! 」
 多々良の体の震えは止まらない。今にも失禁でもしそうな具合だった。
 それらの黒き塊は「畏怖」の体に集まり、「畏怖」はそれをひたすら吸収している。
「ここは……ほう……多くの陰の魂があるようだが……」
 両腕を左右に広げ、下肢を開き、「畏怖」は恍惚の悶えでも上げるが如き声で言った。
「何事か……何かしらの騒ぎがあったようだな……大勢の、実に大勢の人間が死んだようだ……その苦しみ……悲しみ……恐怖… …悔しさ……絶望……ありとあらゆる陰を感じる……ああ、そうだ! もっと来い! そして私に力を貸せ! お前達のその陰の枷を私が外してやる! 全てを破壊して、解き放ってやろう!」
 トルソは見た。その雲らしきもの、黒煙らしきものは、その全てが人の魂だ。人型の黒色のものが密度を高くして、凝集して、膨大な量で流れてきているのだ。
 トルソには聞こえていた。その魂達の泣き声を。悲痛な叫びを。そして残った者達に何かを懸命に伝えようとする声を。
 そしてトルソは悟った。彼等が来た方向で何が起こったのかを。この地から北東の方角にある地で未曾有の天変地異、大災害が起こったことを。そこで余りにも大多数の、大人子供を問わず、余りにも多過ぎる命が失われたことを。
 命半ばにして倒れた者達の魂を、余りにも多くの魂を、「畏怖」は吸い上げているのだ。己の勝手なまでの破壊願望を果たすがためのみに、無秩序に、そして暴力的に吸い込んでいるのだ。
 これは魂に対する冒涜以外の何物でもない。不幸に襲われた者達、未来を絶たれ、その命の灯火を消さざるを得ない状況に追い込まれてしまった者達に対する、尊厳を著しく欠いた、最大限の冒涜行為である。
 夜空に「畏怖」の高笑いが響く。
「さあ! 己の力など及びもしないことに絶望せよ! そして刮目せよ! 見よ! 私こそが『畏怖』である! 私が『神』である! 恐れよ! 滅びよ!」
 黒き「畏怖」の姿は膨張し、黒光りするその表面は更に禍々しい輝きを増し、周囲の空気をびんびんと震わせた。肌が痛い。殺気と緊張が空気中に膨大なまでに放出されている。 
 トルソは剣を、多々良は銃を、各々構えるだけで、他に何も出来なかった。

 その瞬間。
「畏怖」の体に白い光が走った。
「!」
 光は「畏怖」の纏う鎧を粉砕した。轟音を立て、破片となった鎧は地上に向かって呆気ないまでに落下していった。
「何だ? 何が起こっている?」
 白き光は「畏怖」の体を巡り、割れ目を穿ち、そこから新たに光を外へと漏らし始めた。
「これは……何故だ!」
 空へと突き上がるような咆哮を「畏怖」は上げた。
「そこにいるのは……絶望した魂だけではない」
 トルソは剣を下ろして呟いた。
「突然絶たれた命ではあっても、その全てが絶望や怒り、苦痛のみに満ちたものだけではない……『畏怖』よ。貴様には分かるまい……」
「何? お前、何を、何を言っているのだ!」
 黒き欠片がばらばらと地上に落ち、それらは地面に達する前に消え失せていく様を見つつ、「畏怖」は叫んだ。
「残された者達への想い……守りたかった者達への馳せる想い……無事を祈り、これからの幾年を歩むであろう者達への想い……子を思う親の、孫を思う家族の、愛する者を想う者の……希望、愛、人が人を想い慕う、消えることのない心……」
「な、何だと! そ、そんなものが……そんなものでこの……この私……が……!」
 既に光の筋は「畏怖」の黒色の全身の隅々にまで走り、穏やかな光が漏れ出している。
「貴様達が『あるべきではない』とする人の心、感情、想い、そして……相手を愛し、慈しむ純粋な気持ち……それに最初から負けているのだ。それを放棄しようとした時点で、貴様達は負けているのだ」
 トルソは静かな口調で言った。
「人の想いを冒涜する貴様に先はない」
「…………!」
 光は一気に散開し、「畏怖」の胴体を砕いた。質量を持った欠片はことごとく消滅し、そこに残ったのは固有の形を持たぬ黒き靄のみであった。
「何てことだ……これは……これはぁ……こ……!」
 光は残った靄をも消し去った。

 今、新宿御苑の敷地は白く穏やかな光の粒で満ちていた。全てが温かく、静かで、そして落ち着いた優しい明かりを灯している。
 トルソは剣を地面に置き、無数の光に向かい、立った。
 その光の中には、その数と同じように、実に多くの人影があった。お互いに強く抱き合う親子の姿がある。小さな子供にその祖父であろう、祖母らしき女性の姿もある、そしてその小さな頭を優しく撫でる高齢者がいる。またお互いの顔を覗き込み、その体をさすり合う恋人達と思われる二人、女性の頭を自身の胸に寄せ、優しく受け止めている男性がいる。飼っていたであろう犬を胸に抱き締める少女、アルバムを手に空を見上げている者、家族か友人を捜しているのであろう、誰かを呼んでいる姿の女性に男性。手を取り合い、走っていく子供達。様々な姿の者達は、その全身から白く優しい光を放っている。
 トルソは彼等の前に立ち、ゆっくりと語り掛けた。
 その両眼からとめどもなく涙を流しながら。
「さぞや辛かったでしょう……苦しかったでしょう……痛かったでしょう……怖かったでしょう……悔しかったでしょう……悲しかったでしょう……寂しかったでしょう……」
 トルソは続けた。
「願わくば、新たなる天地にて、平穏で、幸せと慈愛に満ちる、新たな生を送られることを。そして、貴方がたが遺されたこの地を、御家族を、奥方を、御主人を、御子息を、お孫さん達を……想いを、心を、我々は守っていかねばなりません。この世の者も、そして貴方がたがこれから向かわれるであろう世の者も、心して……縁と慈しみを……守らねばなりません。何卒見守りください……そして願わくば、御力をお貸しください……我々は共にあります。世界の何処にいようとも、現世来世に関わらず、我々はいつも繋がっているのです……」
 その無数の光を目の当たりにし、多々良も銃を下ろし、呆然としながらその光景を見入っていた。
 やがて、その輝く者達はゆっくりと浮上を始めた。皆、それぞれに手を取り合い、抱き合い、ゆっくりと、ゆっくりと天へと上がっていく。その上には、多々良には見えない、しかしトルソの目には映る、一つの門構えがある。ローマ時代の遺跡にあるような、装飾を施された門。
 トルソは呟いた。
「ポルタ……ノウィ・ウィタエ……」
 現世を旅立つ者達がくぐる「新たなる命、新たなる人生、新たなる出発点への扉」。数多の輝ける魂の光はその門へ向け、ゆっくりと、しかし一歩一歩確実に昇っていく。
 トルソはその場に直立不動の体勢で彼等を見送った。

 逃げ惑う大勢の人々の誘導をしていた警官は、おもむろにホイッスルを吹くことを止め、夜空を見上げた。その口からぽろりとホイッスルは抜け、首に掛けた紐と共に、その胸の前でだらりとぶら下がった。
 発生した火の手に対し、消火活動を行っていた消防隊員は、ホースを手にしつつ、ちらりちらりと夜空のほうに視線を送っていた。
 ストレッチャーを急いで救急車の中へと運び入れている救急隊員は、仲間が指差す方向に視線を送った。
「ねえ? 何あれ?」
「ああ、何だろう……」
「綺麗……」
 通りを逃げ惑っていた人々は立ち止まり、めいめいが夜空を指差した。路上で身動き出来ずに、気を焦らせていたドライバーは、そのフロントガラスやリアガラスを通して映る、幻想的な光景に息を呑み、言葉一つ放たずに見入っていた。

 新宿御苑の方角から、無数の白く穏やかな、美しい、実に美しく神聖な輝きを放つ光が緩やかに、まるで夜空を駆ける天の川の如く立ち上り、天高く舞い上がって行く様があった。

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