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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第三十一章 接点

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 三メートルほどの高さだろうか、横に広がる葉をつけた木々が数多く、そして整然と並んでいる。果樹園らしきその場所に立ち並ぶ木々にはそれぞれ、若干桃色がかってはいるがレモンとかなり似た色をした、見慣れぬ形の柑橘類とも思える実がたわわになっている。その実を外敵から守ろうとしているように、枝や茎には細かい棘がびっしりと生えている。その葉や実の表皮からは清涼感のある甘い香りが漂っている。
 少年は亜麻色の髪を汗で軽く湿らせながら、その実をキメの細かい麻のような、それでいてかなりの厚手の手袋をした手で持ちながら、へたのすぐ上の茎を小刀で切っては、採った実を背中に背負った籠に放り込んでいた。籠には既に十数個の実が入っていて、そこから漂う揮発成分は少年の体の疲れを癒してくれ、鼻の奥にすっとする感覚を残していた。
「兄さん、そろそろ出ないと市場に遅れちゃうよ」
 兄さんと呼ばれたもう一人の少年は、果樹園の外れに止めてある幌車に視線を向けた。荷台には、子供が背負えるような程度の大きさの籠に収穫した実が入っていて置かれていたが、その籠の数は四個しかない。空の籠が奥に転がっている。
「どうしちゃったんだろうな。いつもの半分にも全然満たないなんて」
 少年は眉間に皺を寄せながら、右手で金髪に手をやり握り締めた。例年よりも実りが悪い。それだけなら本来別に珍しいことではない。ただ、激しい季節の変化がなくずっと温暖な気候が続くこの土地からすれば、これは異常な状態なのだ。適度な気温、適度な降水量、そして適度な日照。この条件が続いていて、また目立った病変も見られないにも関わらず実りがかなり悪いのだ。未成熟のまま成長をぱったりと止めてしまっている。そんな実が日毎に増え始めている。
「父さんもそう言えば気にしていたな」
 ふっと兄は呟いた。咲く筈の花が咲かず、固い蕾のまま何日も経過しているものもある。川の流れも澱み始め、雨上がりの時のような濁りが出始めている。魚の姿は消え、鳴き歌う鳥も見られなくなってきている。子供ながら何かしらが悪い方向に変化している、どうにもそんな気持ちがして晴れないのだった。
「行こう」
 二人は実の入った僅かばかりの籠を幌車に運んだ。幌「車」と言っても車輪は付いていない。開拓時代の幌馬車のような見た目ではあるが、車輪に当たる部分にはU字型をした、黒革張りの土台とも浮き輪とも見えるものが取り付けられている。幌馬車の形をしたホバークラフトのようなものと言えるだろうか。兄はその革張りの台の端に行き、赤く縁取りのされた箇所の革をめくった。そこには薄い青色をした細長い鉱物がある。棒状の鉱物、加工されたウォラリス・テクタイトは正面で離れていて、両端にプラグらしき形状のものがあり、その右にある小さいレバーを少年は下ろした。両端が互いに近付いて接触した瞬間、低く重い音が鳴り、幌車が地面から浮き上がった。
「レン、乗ったか? 出るよ」
 兄、フスハは弟のレンにそう声を掛けると、幌車の前で四肢を伸ばし大欠伸をしている動物の手綱を引いた。身震いをし、赤茶色の短い体毛を震わせた、牛に似た獣はゆっくりと立ち上がり歩き始めた。幌車自体に動力はなく、その生き物に車を引かせている様はまさに幌馬車である。  
 
 果樹園を抜け、両側に草原が広がる中を幌車は進んでいった。心地よい微風が顔に当たる。レンは車の後ろにある荷台で、籠の一つを両腕で抱えるようにして座っていた。昇り始めた黄色味がかった白い陽の光が優しくフスハの全身を包み込んでいる。
 何処からだろうか。前方から鳥の鳴くような声が聞こえてくる。それも小鳥のさえずりというような代物ではなく、甲高く、まるで威嚇か怯えの感情を表に出しているかのような鳴き声だ。手綱を握るフスハがその声のする方向へ目を凝らした。
 草むらから人の、それも子供の上半身が見える。子供は腕を砂利道の上に投げ出した状態でうつ伏せになって倒れていた。その傍で、銀色の羽毛で包まれたグリフィスの雛が鳴いていた。
「誰かが倒れてる!止まるぞ!」
 手綱を引かれた獣が足を止めると幌車も音もなく止まった。慣性の法則というものが全く適用されないと思われるほどのスムーズ、且つ全く摩擦抵抗のない止まり方だ。兄弟は車から降り、ゆっくりと、足音を立てないようにして、その倒れている少年の元へ寄っていった。髪の短い小柄な少年がそこにいた。見た感じ、年齢は弟のレンと似たり寄ったりな感じがする。
「……おい」
 フスハが少年に声を掛けた。返事はない。恐る恐るそばにしゃがみ込むと、掌で少年の肩を揺すった。その時に感じた手の違和感に驚いたフスハは、はっとして手を引っ込めた。
 痛覚を刺激するような感覚の他に、少年の体が夜露で濡れ、冷え切っていることにフスハは気付いていた。
 次は手を触れずに、少年の耳元に口を寄せて声を掛けた。
「おい。大丈夫か?」
 少年の軽く体が震えた。ゆっくり頭を上げると、少年はフスハのほうに土埃で汚れた顔を向けた。
「……パパ?」
 フスハは少年の顔をまじまじと見つめた。瞳や髪の色といい、顔つきといい、あまりこの辺では見かけないな、と思いながら、
「おい、大丈夫なのか?」
ともう一度訊いた。
「ママ? おばちゃん?」
 少年はそう呟くと、ふと何かを思い出したかのように表情を強張らせ、そして目に涙を浮かべ始めた。
「お前、誰? 何処から来た?」
 少年はそう話し掛けてきたフスハに一瞬違和感を感じた。アイーダの話し方と同じだ。口元と発語される言葉とに「違い」があるのだ。
 少年の頬や額に切り傷や擦り傷があり、出血は止まって血の塊がこびりついている。着ているものは一部が裂け、背中にも同様の傷があった。フスハやレンの目から見ても、この少年は何か面倒なことに巻き込まれた後か何かか、という感じで目に映っていた。
「怪我してるの? 名前は?」
 目の前の亜麻色のの少年に対し、彼はこう答えた。
「……啓吾」

 啓吾はよろよろと力なく立ち上がったが、すぐに膝から力が抜けて倒れてしまい、フスハが恐る恐る手を出して啓吾を支え、荷台へ連れて行った。一度触れた後なら、再び手に刺激感が走ることがないようで、フスハは不思議な面持ちで自分の手を見つめていた。しかし、啓吾の体の重さは少年にとっては尋常ならざるもので、そのことにもフスハは驚きを隠せずにいた。
「ちょっ……! 何て重いんだ、こいつ!」
「兄さん、こいつどうすんの?」
「どうするって、放っておくわけにもいかないだろう? 家に連れて行こう。父さん母さんに話してみようか」
「うん」
 啓吾を後ろの荷台に乗せ、幌車は先を急いだ。レンは先程と同様、籠を両腕で抱えながら、今度は空ではなく啓吾をじっと見つめていた。啓吾は口を真一文字に結んだまま、銀をしっかりと抱きしめていた。視線を足元に落とし、時々涙で目を潤ませている。
 レンはそんな啓吾を見詰めながら、ふと口を開いた。
「そのグリフィスの雛、お前の?」
 啓吾は黙ったまま一度頷き、銀を抱く腕に力を込めた。
「ケイゴって言ったっけ? お前、そのグリフィスのマスターなの?」
 啓吾はレンの顔を一度見やると、
「分かんない」
と一言呟いて答えた。
「分かんないって何それ? ケイゴのグリフィスでしょ、そいつ」
「『そいつ』じゃない」
「え?」
「銀。銀って名前がある」
「ふうん」
 弱々しい声ではあったが、銀を「そいつ」呼ばわりされたことに、啓吾は苛付きを感じ、言い返すときの答えは些か力がこもっていた。その啓吾の顔を、レンは相変わらず樽にしがみ付いたような格好で、首を右に左にゆっくりと動かしながら見詰めていた。
「俺の父さんはグリフィス・マスターなんだ。で、グリフィスの調教師もやってるんだぞ。近衛騎士団のグリフィスも父さんが訓練してるんだ。すげぇだろ?」
 レンはにやにやしながら、自分の父親を自慢するような口調で啓吾に言った。
「ケイゴ、お前の父さんは何やってんの?」
「パパは……社長」
「社長? 店か何かやってんだ」
「家とかマンションの部屋なんかを売ってる」
「へ? 何でそんなもの売ってんの? 家なんてみんな自分のものを持ってるじゃないか。わざわざ売るの? 買うの? 変なの」
 土地がとんでもなく広く、また先祖から代々守る土地を持つ地方の住民にとって、そういった不動産物件を売るという感覚はおおよそ理解出来ないのが、この世界での感覚だった。家は家族が直接大工と連絡を取り合いながら建てるもので、その間に業者を挟むような習慣がなかったのである。
「そんなことよりケイゴ、あんな所で何やってたんだ?」
 幌車の先頭で手綱を持つフスハが口を挟んだ。
 再び啓吾の口元が真一文字になった。再び視線を落とし、銀を抱く腕に力が一層入り、両目から涙をぽろぽろとこぼし始めた。
「おばちゃんが……シャリーズも死んじゃった……」
 その言葉にレンは唖然とした表情を浮かべて無言となり、フスハは我が耳を疑い、思わず訊き返した。
「え? 死んじゃったって……何?」
 だがその言葉に啓吾は何も答えず、代わりにむせび泣き始めた。
 年端も行かぬ少年が出会った二度目の永遠の別れ。それはあまりにも残酷な形で少年の心を襲ったのだった。

   ※ ※ ※ ※ ※

 クリッジはたっぷりと飼料の入ったバケツを十個以上載せた台車を押して、グリフィスのいる建屋へ向かっていた。その建屋は、クリッジの暮らす家の十数倍の敷地面積のあるもので、その中でグリフィスの雛、まだうら若いグリフィス達が飛び回っている。グリフィスの調教師として今年でちょうど二十年目になる。ここで餌付けし、基礎的な訓練を施した後、自身のグリフィスを求める者と会い、面接や特性試験を行い、その者とグリフィスとが「心を通い合わせた」ことを確認すると、その者をマスターと認定し、グリフィスを引き渡すのだ。
 建屋の最初の門の南京錠を外すと、横長の引き戸を開けて、ウォラリス・テクタイトの力で浮き上がっている台車を中に押し込み、その引き戸を閉めて、更に二番目の引き戸を開けて、台車を建屋の中に押し込んだクリッジは、無言でバケツを下ろし始めた。
 グリフィス達が銘々で鳴き声を上げている。
 身長はゆうに二メートル近くはあろうかと思われる長身の持ち主で、太い腕に厚い胸板が目立つクリッジは、ほりの深い顔立ちに口髭を伸ばしており、その見た目で無口となれば、まさに無骨なイメージを与えがちだが、そんな彼も二児の父親である。齢五十手前の大男は、飼料の入ったバケツを軽々と持ち上げ、床代わりの地面に置かれた長い木枠に飼料を流し込んだ。
 グリフィス達が一斉に餌箱に寄って来た。若鳥とはいえ、大の男一人を軽々と背に乗せて、大空を飛び回ることの出来る鳥のことである。羽ばたきで風が起こり、そのために埃が舞い上がるので、クリッジは息を止めて目を細めた。

 グリフィス達が旺盛な食欲を見せているその向こう、建屋の金網の向こうから、複数の人影が近付いて来る姿が見えた。人影は四つ、そのうちの先頭を切っている者は、クリッジとは真逆の華奢な体型の子男だ。両肩と両腿がモスクの尖塔の如くぶっくりと膨らんだ着衣を身に纏い、その色合いは白、赤、黒に黄色の四色の太い縦縞となった、けれん味の濃い見た目である。その独特の風貌の男は、ぱっと見だと二十四、五歳ぐらいだろうか。頭に鳥の尾羽を飾ったベレー帽のような帽子を被っている。胴体には旭日旗の日の丸のような模様がでかでかと刺繍されている服で、二目と見なくてもその悪趣味なイメージが脳裏に焼き付きそうな感じを起こさせる。靴は服装に似たり寄ったりの派手なデザインで、紅白幕に黒と黄色という二種類の警戒色の縦縞を無理矢理に描き足したような見た目をしており、その靴の先端は伸びた鳥の爪の如く、内巻きの曲線を描いている。後ろにいる三名はその小男の付き人である。
 クリッジは彼等がこちらに向かって来る姿を一目ちらりと見やると、その視線を自身の養うグリフィス達のほうへと戻した。
「やあ、クリッジ。元気かい? ま、君のその巨漢ぶりを見て具合が悪そうだとは誰しも想像しないとは思うけどね。今日も忙しそうだねえ、いや結構結構。忙しいことは実に喜ばしいことだ」
 小男は耳にきんと響く高めの、まるで首を締め上げられている最中の鶏のような声で、おまけに早口でまくし立てた。
「しかしまあ、君のところのグリフィスは何時見てもいい羽並みだねえ。つやつやして美しい。まるでこの僕の髪のようだ。それも僕の父上が君に対して特別に税金を減額しているが故に出来ることだとは思わないかい? ね? 感謝しているかい、クリッジ?」
 不快な耳障りしか残さぬ、嫌味な高低の音の抑揚を付けた声で、やはり機関銃のような早口で発射されてくる言葉に、全く耳を貸そうとしないクリッジは、同時に小男の視線と自分の目を合わそうともしなかった。完全に無関心を決め込んでいる。
「おやおや、君は不誠意な男だねえ、ね、不誠意。誠意がないよ、その態度。父上に対しても相変わらずじゃあないか。だから父上からの実にありがたい申し出も一蹴しているのだろう? そんな調子でさ、ん?」
 小男は背を若干屈め、下から上へ舐め回すかのような目付きでクリッジを見た。その目は侮蔑を含むもの以外の何物でもなかった。だが、クリッジはそんな男の態度にも言葉遣いにも全く反応を示さない。黙々と餌箱の餌をシャベル状のへらでならしていた。
「全く! おい、クリッジ! 返事をしたまえ! 僕を馬鹿にしているのか?」
 首を絞められていた鶏の最期の断末魔のような声を上げ、小男の貧相な顔は怒りでぐしゃぐしゃに乱れた。
 クリッジはへらを上げて床につき、ふうと大きく息を鼻から出すと、
「何度来られようと私の返事は変わらん」
と答えた。相変わらず小男のほうに全く視線を向けようともしない。そのにべもない断り様に、小男はいっそう声を荒げた。鶏の首を締め上げている手が万力にでも変わったかのような、実に不快極まりないきんきん声を上げる。
「こら! お、おい! 全く……何時までそう強情を張るつもりだ、クリッジ! その失礼千万な態度を、た、態度を、この僕に向けるということはだな、おい貴様、これ即ち僕の父上、貴様の御領主であるプロウィコス様に対してと全く同様なのだということを全く理解して……」
 小男の長々しい口上をクリッジはあっさりと遮った。
「理解しているとも。それが故の私の態度だと言うことを、貴方こそ全く理解されていない御様子だが」
 小男の顔が見る見る紅潮し、次いで蒼くなっていった。まさに瞬間湯沸かし器である。小男の目が大きく見開かれ、頬が口腔内に溜め込んだ空気で河豚のように膨らむと、次に口角から細かな泡が立ち始めた。
「あ……う……くっ……ク、クリッジ……貴様ぁ……!」
 三人の付き人が小男の側に駆け寄った。
「シネカス様! 御気を確かに!」
「お、落ち着いてくださいまし、シネカス様!」
「ゆっくり深呼吸をなさってください、さあ!」
 三人はそのシネカスと呼ぶ小男の、表情に比例した貧弱な体躯を銘々の両腕で支えながら、次々に小声でぼそぼそと耳元で呟いた。
「深呼吸? 馬鹿な。それは過呼吸だ」
 クリッジはシネカスに背を向けて言い放った。
「ク、クリッジ! そなた言い過ぎであるぞ!」
「シネカス様の御気質をまるで分かっていない!」
 クリッジはにやりとほくそ笑んだ。
「私が何を言った? 私は聞き相手に過ぎないが」
 一人で喋り倒した挙句に、顔面蒼白で泡まで吹いているシネカスを卒倒しないように押さえつつ、付き人達は「何て奴だ」と捨て台詞を残しながら、来た方向をすごすごと戻って行った。
 彼等の後姿に一瞥をくれると、クリッジは運んできたバケツを台車に乗せ、家へと帰った。

「貴方」
 家では妻のダフニが、ちょうど庭で洗濯物を掛け終わって中に入ったところだった。洗濯物が入っていた大振りの籐の籠を置くと、ダフニは夫のクリッジを見て言った。
「今しがた、シネカス殿が……」
「ああ。今帰って行った」
「貴方、ひょっとしてまたシネカス殿をやり込めたんじゃなくって?」
「いや、例の申し出を例の如く断ったまでだ」
 常日頃が無愛想な表情を浮かべているクリッジが、例の如く更に無愛想な表情で答えた。
「もう……」
「盲目的に従順な、そんな機械の如きグリフィスを育てるために調教師をやっているのではない。しかも、あんな連中のために……」
 ダフニは一つ溜め息をつくと、籠を持って台所へと入って行った。クリッジは居間のテーブルのほうへ歩いていくと、椅子にどっかと座り、四つ折りになった大判の新聞を開いた。グリフィス調教師に向けられた専用の週間新聞である。
「果樹園の収穫、どんなものだったんでしょうね?」
 ダフニが台所から声を掛けてきた。クリッジは無言で台所のほうへ視線をちらりと向けた。居間に戻ってきたダフニは、クリッジの険しい表情を見ると、
「あんまり良くないですからね、最近」
と再び声を掛けた。持っていた新聞紙を二つ折りにすると、クリッジは妻の声掛けに一言、「ああ」と答えた。
「天候はいつもの年と特に変わらないのにね。庭に毎年咲いているベネウォリアの花も、今年は全くだめ。蕾さえ付けないのよ」
 そう言いながら、ダフニは夫のためにお茶を用意し始めた。
「妙だな」
「ええ。果樹園の収穫だってかなり落ち込んでいるじゃない? だから、たとえどれだけ気に食わなかろうと、あの領主殿を怒らせるようなことしないで欲しいの。税が跳ね上がったら……」
「そんなグリフィス調教師への『特権』などいらないのだ。我々も他の者と同じ、ただの村人だということには変わらん」 
「分かっております。でもねぇ……」
 ダフニの表情が曇った。
「でも何故あんな風に変わってしまわれたんでしょうね、領主殿も、そのご子息のシネカス殿も」
 クリッジは何も答えなかった。
 つい半年ほど前までは、村人や領区内の住民達の人望の厚かった領主プロウィコス。急に税金の額の尋常とは思えぬ値上げや、支払えぬ者への逮捕拘禁、または虐待行為、自らの狩猟場を拡大するためだけに住民を追い払ったりすることなど、そんな行為に走ることは全く考えられなかった。まるで何かに取り憑かれたかのような人格の変貌振りなのだ。
「何があったにせよ、生きているこの『今』こそが現実だ」
 クリッジは険しい表情を崩さないまま、妻の淹れた茶を口に含み、再び新聞紙を大きく広げた。
 しばらくすると、外から物音が聞こえた。
「子供達だわ。どうしたのかしら。やけに帰りが早いわね」
 ダフニは窓から外を見た。
「あら?」
 その声にクリッジは新聞紙で隠れていた顔を覗かせた。
 家の扉が開いた。
「父さん、母さん!」
 弟のレンが駆け込んで来た。そしてその後ろから、兄のフスハに支えられるようにして、「銀」を抱えたままの、弱々しい足取りの啓吾が入ってきた。
 クリッジは目をいつもより若干大きめに開き、啓吾と胸元に抱かれている銀を見た。
「パパ……」
 啓吾はそう呟くと、そのまま玄関先でばたりと倒れこんだ。銀が驚いた鳴き声を上げてその胸元から飛び降り、ばたばたと羽を動かして駆け回った。
 クリッジは啓吾の元へ駆け寄り、その体に触れた。感電したかのような刺激がグローブのような大きな手に走る。少しばかり眉を動かしたクリッジは、改めて啓吾に触れる。同じような刺激こそなかったが、代わりにかなりの体熱感が伝わってきた。クリッジは啓吾の体を軽々と抱き上げると、その全身がじっとりと夜露で濡れていることに気付いた。啓吾の呼吸は小刻みに速く、しかも絶え絶えだ。
「ダフニ、すぐに湯を沸かせ!」
 クリッジは大声で妻にそう言うと、急いで啓吾を寝室へと運んで行った。

   ※ ※ ※ ※ ※

 白簾霊峰近く、広がる大草原の中にティキオスという名の村がある。人口約六百程度。その村の郊外にある、一軒の家がつい先日まで建っていた筈の地に、二人の空間近衛騎士団員が立っていた。
 ポルトノイはその土地から草原へと続く、腐敗臭を放つ黒の汚泥状の地を、腰の両脇に両手を置いた仁王立ちの体勢で眺めていた。
「霊峰付近で一度発生して以来だな、こいつは」
 兜を外し、自身の黒髪を風にたなびかせながら、ポルトノイはそう言った。
「ええ。でもどうしてこの家だけが? 他は全て無事なのに」
 ヴィクセンは怪訝な表情を浮かべながら、家の残骸が散らばる様を見つつ自問した。
「村の者が言うには、ここには年老いた女性が、グリフィスと共に一人暮らしをしていたらしい」
「女性が?」
「ああ。名前はアイーダ。村の子供達に読み書きを教えていたそうだ」
 ヴィクセンは家がかつて建っていた敷地の跡に足を踏み入れた。足元で泥のぐちゃりという嫌な音が上がり、汚泥が足にねっとりとまとわり付く。異臭が周りに立ち込め、ヴィクセンは顔をしかめた。
「うっわ、くっさい……」
 それを見て見ぬ振りをするかの如き口調で、ポルトノイは続けた。
「それでだ、最近男の子を世話していたらしいって話も聞いた」
「男の子?」
「ああ、何でも、ここらじゃ見かけない感じの子供だそうだ」 
 ヴィクセンは足を止めた。泥の中に何かが埋まり、一部が泥の上に突き出している。
「おい、ヴィクセン、もうそこから出て来い。いい女が悪臭まみれになっちゃ勿体無い」
 ヴィクセンは肩をすくめて見せると、泥の中から顔を出している長い物体を拾い上げた。
「ねえ、ポルトノイ。これ見て」
 それは一本の剣だ。しかも見覚えのあるデザインである。
「これ、私達騎士団の剣よ。騎士団員しか携帯が許可されていない剣が何故ここに?」
 ポルトノイはやれやれと言いたげな表情で、家の跡地に足を踏み入れた。数歩進み、ポルトノイは一冊の本らしきものを拾い上げた。それを開き、中を見てみた。
「アルバムだ。ふうん……あ、こりゃあ……」
「何?」
 ポルトノイは今自分が見ているアルバムの一頁をヴィクセンに見せた。そこにあった写真は、若かりし頃のアイーダだ。空間近衛騎士団を代表する黄金の甲冑に身を包んでいる、意気揚々とした表情を浮かべた姿だ。
 ふいにポルトノイが声を上げた。
「思い出した! アイーダ……アイーダ・ウェリタス。確か昔、騎士団の副隊長をしていた女性だ。トルソ副隊長殿より二代前のな」
 次いでヴィクセンが一枚の紙片を拾い上げた。ラテン語の基礎単語の書き取り練習をしていた時のもののようだ。ぎこちない書体の単語が書き綴られている。そこにいたという男の子が書いたものだろうか。
 その紙片を見つめていたヴィクセンの顔色が変わった。そこに綴られている二つの単語を見たのだ。

「CEIGO SUDO」

 スドウ? トルソの乗るグリフィスから落ちて消息を絶った、あのスドウカズキと同じスドウの名前である。そうだとすれば、このスドウケイゴという名前は、例の連れ去られた須藤一樹の一人息子に違いない。
 家が破壊された瞬間、啓吾がここにいたのかどうかは分からない。ひょっともすれば、逃げ切ったのかもしれない。ここで一緒に暮らしていたというグリフィスのマスターがアイーダであれば、アイーダの命令で啓吾を乗せて、遠くへ飛び去っていったのかもしれない。それともこの家もろごと……
 ヴィクセンは頭(かぶり)を振った。何にせよ、こうもすぐに捜索中の二人のうちの一人の手掛かりが掴めるとは、ヴィクセンも全く想像していなかった。
「総隊長殿に連絡をしないと。急がなきゃ!」
 ヴィクセンは走ってアイーダ宅の敷地跡を抜け出た。その際に巻き上がる泥の雫がポルトノイの顔に飛び、ポルトノイは何とも言えない呻き声を上げた。

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