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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第三十章 大公の影

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 長く続く石造りの廊下を、エクス特命全権大使とラシャペル一等書記官は、険しい表情を崩せないまま早足で歩いていた。今回のアグゲリス公国防衛軍の国境集結という異常事態に対し、外交省に説明を求めていたのだが、その要求は当初門前払いをされていたのだった。理由は、レグヌム・プリンキピス側の度重なる「一国による世界集権統治体制」に異議を唱えると共に、今回の「現世」への軍隊(空間近衛騎士団)派遣という、女王アフェクシアのあまりにも独善的な行為に対し、自国アグゲリスを守備するために必要不可欠な対策だという説明で流されていたのだ。
 それが今回、アグゲリス公国統治者であるアムリス大公が二人に直に謁見し対談する場が設けられたのだ。この一件に関しては、アムリスの妻であるフィリエラ大公妃の助力があって叶ったことでもあった。長年友好関係であったアグゲリスが最近になり急にその態度を硬化させたことは、レグヌム・プリンキピスにとっては疑問であり、懸念事項でもあった。そして今回の現世への関与。現世へは干渉しないという鉄則を破ったという一件で、アグゲリスの態度は更に頑なになったのだ。アフェクシアの友人であるフィリエラが夫を説得し、今回の場が設けられた。妃が夫の行なう政治に直接口を出すと言うことは、あまり世間ではいい顔をされないというこの国の風潮を鑑み、この謁見や、それが設けられた理由は極秘扱いとなっている。
 だが、エクスの険しい表情の理由は、この謁見にて大公がどう出るかと言うことに対してだけではなかった。昨夜になって急にこの謁見の場が設けられたことを知らせてきたのは、他ならぬフィリエラ本人だった。首都アグゲリアードにあるレグヌム・プリンキピス大使館は公国治安維持警備軍に包囲されていた。その包囲網の中をフィリエラは随者と共に現れた。警備軍には直前に知らされていたので、多少の驚きを以ってだが、フィリエラの一同を大使館に入れたのだった。しかし、それ以外は公国国民との関わりを一切遮断し、公国を出国するレグヌム・プリンキピス国民に対し、出国証を発行するだけの役割に限定させていた。
 その場でフィリエラは言った。

「夫が……いや、大公殿下がどうもおかしいのです。時折、全くの別人ではないかと思える時があってならない」

 レグヌム・プリンキピスの永続的なパートナーであったアグゲリスの態度の、そして大公アムリスの急激な態度の変化を訝しく思っていたエクスにとって、フィリエラの言葉は心に引っ掛かるものであった。そのフィリエラの懸念が今から垣間見えるのではないか、そんな思いがエクスの胸中をよぎっていた。
 エクスとラシャペルは廊下の突き当たりにある重々しい扉の前に立った。戸口に立った誘導者の声が廊下に響く。
「エクス、レグヌム・プリンキピス特命全権大使殿、並びにラシャペル一等書記官殿をお連れ致しました」
 扉が静かに開いた。広い窓から太陽の光が燦々と入るかなり明るい室内で、幾何学模様と植物を表した模様、そして、
“Basi solis cogitationibus saeculi.”
『陽の思念こそが世界の根幹』
と書かれた文章とが絡み合う、独特の文様の絨毯が敷き詰められた様が見えた。
 その中央に置かれた大き目のロングソファーとテーブルのセットの傍に、巻き毛の髪をたたえた、長身で細めの男が立っていた。
「お座りください、大使殿、書記官殿」
 アムリスは穏やかながらも、その裏で冷たさを感じさせる声で言った。
 二人は勧められるままにソファーに腰を下ろした。
「この町は穏やかで美しい所ですね。私は初めて寄せて戴きました」
 エクスが口を開いた。
「ああ、ここラグナハルは避暑地としても有名でしてね。最も近い隣町であるラムジャプールとの距離は百ミルある。有事の際の臨時政府を置くにも丁度良い立地でもある……」
 有事の際の臨時政府? エクスの眉が動いた。
「国境地域での我が軍の動向が気になるのでしょう?」
 アムリスは窓の外を見詰めたまま、静かに言葉を放った。
「貴方がたは我々の信頼を著しく傷付けた。これまでの友好関係を土足で踏みにじるような行為を行なった。今回の我が軍の国境集結はそれに対する我々の回答であり、我々の自衛手段でもある。これは正当な行為ですよ」
 エクスは背を向けているアムリスをじっと見ていた。大公アムリスとは十年近くの付き合いになる。アムリスは誰に対しても優しく、そして自分には厳しい男で、道理の通らない、筋の曲がったことを嫌っていた。常に微笑みを絶やさなかったあの少年の面影を残していたのだが、今目の前にいるアムリスからは消えている。見た目の変化のことを言っているのではない、アムリスに漂う「気」の質ががらりと変わってしまっている。もう齢五十を越えたエクスにはそう感じられてならない。自分達に対する不信が招いたものなのだろうか。
「ですが殿下。我々は貴方がたに対して敵意を持った行動はこれまで取ったことがないのはご存知かと思われます。実際、今回の空間近衛騎士団の行動については、当国女王からも……」
「そちらがいくら敵意がないとおっしゃられても、受け取る側がそう思えないような行動をされれば、そんな言葉自体に何の意味も見出せないことぐらいはお分かりでしょう?」
 アムリスは未だ視線をエクスのほうに向けはしなかった。ずっと窓の外を眺めたままだ。
「それは、我々の主張は所詮口先だけだとおっしゃられているのですか? それでしたら、何故これまで我々に追従されるような行動を取られていたのです? 女王はこれまでも大公殿下と何度も会談をされていた。その場で何故おっしゃられなかった? 一国の主であれば、隣国に何かしら懸念されることがあれば聞き質す。それは当然の権利であり義務なのでは? そして我々はそれに対して……」
「相変わらずの『上から目線』なおっしゃりようだ」
 アムリスは溜め息を一つつき、うな垂れた。
「貴方がたは……全く。何様のつもりなのですか? レグヌム・プリンキピス……国名からしてそんな部分が窺われる。世界の中における第一の、主たる王国。我々がそんな貴国に対し、何も感じ得なかったとお思いか? 恐怖、威圧、圧迫……そんな『負』の感情を招き入れるような存在の貴方がたが、何? センチュリオンどもの復活を阻止するが為の大儀を以って何だと言うのですか? そんな伝承の魔物などよりも、今現在の目の前にある脅威のほうが我々にとっては問題なのですよ」
「当国における一連の出来事についての情報は、殿下もお耳にされていらっしゃるのでは? それを『伝承』の一言で片付けられるのですか?」
 アムリスはエクスのほうを向いた。エクスは妙なことに気が付いた。アムリスの影。窓から入る日光を受けて床に映る影。これが小刻みに動いている。アムリス本人は微動だにせぬ姿勢であるのにもかかわらず、影が動いているのだ。
 その影はみるみる床から離れ、アムリスの隣に立ち上がった。
 アムリスの瞳が赤く光り始めた。
「伝承のほうが都合がいい。あり得ないと信じる不安や恐怖にじわりじわりと心を支配されていく。何たることか。そう思わないかね、エクス卿」
 アムリスの全身から黒い靄が立ち上り、その靄がエクスとラシャペルの体を覆い尽くした。

   ※ ※ ※ ※ ※

 フィリエラは隣室で静かに座っていた。今回のレグヌム・プリンキピス側との謁見を導いた張本人としては、話の流れが気になっているのだが、壁の向こうから二人の男の叫ぶような声を耳にし、ぎょっとして立ち上がると、扉のほうへ歩み寄って行った。そっと扉を少しだけ開き、隣室の様子を窺ってみる。エクス卿と従者の姿が消えている。そして二人がいたであろう場所の上辺りで、黒い靄がぐるぐると大きな渦を巻いている。その靄は我が夫の体から発しているではないか。
 フィリエラは息を呑んだ。
 夫は視線を前に向けたまま逸らさず、
「やあ、我が妻よ」
と穏やかながらも冷ややかさに満ちた声で言った。
 フィリエラの手指に必要以上の力が入り、そして足元が震えだした。
 アムリスは微笑みを浮かべ、エクスが座っていたソファーに歩み寄ると、どっかと座り、脚を組んで大声で笑い始めた。
「貴方は……誰なのです?」
 フィリエラは扉をそれ以上開かず、隙間からアムリスの姿を窺いながら言った。フィリエラの声は震えていた。
「君の愛する夫だよ。そして私は君を愛するアムリスだ。そして心から全ての偽りの仮面を取り去った、素のアムリスだ。もっとも……」
 アムリスは座ったまま、妻のほうへ顔を向けた。
「今では『愛』なんて感情も偽りでしかないと思っているのだがね。他人に好かれたい、構ってもらいたい、分かってもらいたい、それが故の好きでいよう、構おう、分かろうとする程度のものなど実に陳腐なものだと思わないかい、妻よ」
「アムリス……」
 アムリスは立ち上がった。体が動くその勢いで、黒い靄の流れに強弱が出来ている。
「そんな不自然で不安定なものに縋ることは実に苦しいものだ。私はそれを君にも理解して貰いたい。相互理解、これは『人間』が相手に求めるものなのだろう?」
 アムリスの瞳が再び赤く光った。あの宝石のような、そしてこれまでずっと見慣れてきた碧い瞳はそこにはない。今は邪な光が宿っている。
「フィリエラ。おいで。私が君の心を救ってあげよう」
 フィリエラは喉の奥から息を漏らした。声にならない、狭いところから勢いをつけた空気が飛び出す際に聞こえる甲高めな音だ。扉から手を放し、対面の壁にある扉へ走り、そこをくぐってフィリエラは廊下に出た。
「大公妃殿下! 如何なされました?」
 廊下の向こうにフィリエラの側近であるセジャールがいた。セジャールは四十歳になる長身の男で、今回の謁見の場を作るためにフィリエラがエクス達を訪問した際は、彼女のボディーガードとしての役割も持っていた。
「セジャール! 大公が……夫がエクス卿に手を掛けました!」
「何ですって……」
「急いでこの別荘を出るのです! 夫は……私を……」
 慌てふためくフィリエラの肩を両手で持ちながら、セジャールはその後をゆっくり歩いて近寄ってくるアムリスを見た。
「やあ、セジャール。元気かい?」
 アムリスの瞳が放つ赤い光が左右に伸び、禍々しく眩い光沢を飛ばしてくる。セジャールは一目で、それがこれまで知っているアムリスの姿ではないのだと悟った。
「殿下、参りましょう」
 そう小声で言うと、セジャールはフィリエラの手を握り駆け出した。
「何処へ行くというのかね?」
 大声で笑いながらそう言うアムリスの声が背後から飛んでくる。
「殿下、別荘の前の湖に船があります。それで参ります」
「ええ! 分かったわ」
 アムリスは二人が走り去っていく姿を、廊下の途中で立ち止まり見詰めていた。アムリスの背後に黒い靄が立ち上り、人の形を構成すると、その靄から声に似た音が漏れた。
「やれやれ。つくづく御し難い……」
 アムリスは踵を返すと、先程までいた部屋へ戻ってきた。エクスやラシャペルがそこに座っていたという雰囲気は今では全くない。二人は完全にこの世界から姿を消した。消滅した。アムリスは何事もなかったかのように、その部屋の隅にあった棚の扉を開け、タンブラーグラスと瓶を一つずつ手に持ち、消えたエクスが先程まで座っていたソファーに腰を下ろし、瓶から琥珀色の酒をグラスに注いだ。そのグラスの縁を三本の手指で摘むように持ちながら優雅に回し、液体を空気と混ぜながら、その放つ芳香を楽しみ、口に含んだ。美味い。
 窓の外から低く重い音が聞こえてきた。見ると一隻の船が飛び立っていくところであった。フィリエラとセジャールの乗った船であろう。あれはフィリエラの専用船だ。
 アムリスはテーブルの上にあるインターホンのスイッチを押した。傍のランプが赤く光り、「大公殿下」と声が聞こえてきた。
「今ほど飛び立った大公妃専用船を追跡させよ。生死は別に問わない。取り急ぎ、適当なところで撃ち落せ。あれに乗るはもはや我が妃ではない。反乱分子だ」
「え? しかし……反乱分子が、ですか?」
「そうだ。あの船からの通信には一切応じるな。誰が出ようと応じるな。気にすることはない。妃の船ぐらいいくらでも新造すればよいのだ。躊躇するな。命令である。撃墜せよ。決して国境を越えさせてはならない」
 アムリスはゆっくりと脚を組むと、再び酒を口に含んだ。

   ※ ※ ※ ※ ※ 

「こっちだ」
 ユタこと澤渡祐は須藤を一軒の家に招き入れた。メイスと澤渡が降り立った場所はアタワという一つの小さな村だった。ニ十数件の家が身を寄せ合うように建ち、周囲を畑が取り囲んでいる。畑の横には小屋が何軒かあり、そこには数羽のグリフィスが繋がれている。
 そのうちの一軒に招かれるがまま須藤は入っていった。板で張られている床をゆっくり踏んでいく。板が軽くきしむ音を立てる。
「いらっしゃい。こっちよ」
 奥から女性の声が聞こえてきた。須藤は澤渡の後を付いていきながら、声のする奥の部屋へ入った。
 ふっくらした容貌の初老の女性が、テーブルの上に並べられたカップにお茶を注いでいる。見た感じでは東洋人風のその女性は、ティーポットをテーブルの上に置くと、顔を上げて微笑み掛けた。
「ユタ、ここに来るのは久しぶりね。新しい転生者?」
「ええ」
 女性は須藤の顔をじっと見つめた。その目が細くなる。
「おやおや……この人は……珍しいお客を連れてきたものね、ユタ」
「え?」
「ユタ、気付いていなかったの? その人の手を触ってみた? ま、手でなくてもいいんだけど。体に触れた?」
「あ、ええ……」
 二人が顔を見合わせた時、さすがに懐かしさもあって、澤渡は須藤の手を握ったのだが、その時に電気が走るかのような痛みと痺れを感じたことを思い出した。
「その感触は独特のものよ。私達と彼の体の……肉体を構成する分子構造が違っているの。そのための拒否反応なの」
「何ですって?」
「彼は……転生者ではない。向こうの世界で生きているそのままの状態でこの世界へやって来た……普通ならあり得ないようなことだけどね」
「…………!」
 澤渡は須藤を見た。須藤は何となくばつの悪そうな表情を浮かべながら、
「だから自分に触れないほうがいいって言ったろう?」
と小声で言った。その言葉を聞いて女性は声を上げて笑った。
「まあ、でも一度その感覚を味わったなら、次からはもう大丈夫よ。そこのところの理由は私もよく分からないんだけどね。さ、座って。お茶をどうぞ」
 女性は椅子を勧めた。二人がゆっくりと椅子に座ると、女性はお茶の入ったカップをそれぞれの前に置いた。
「私はクミコ。宜しくね。貴方は?」
 女性は改めて笑って須藤の目に視線を合わせた。
「須藤です」
「スドウ、さんね。ユタが貴方を私の家に連れてきたのはね……と言うか、彼は自分で見付けた中途転生者を何時もここに連れてくるの。私が頼んでいること。私はそこで、そんな人達にこの世界の『案内』をするわけね。皆、さすがに戸惑っているから。自分が死んだってことを本当に納得している転生者って、本当のところ一人もいないものよ。頭では分かっていても、心が受け入れていない。または全く信じようとしない人。そんなのばっかり」
 須藤はクミコと名乗るその女性の言葉に耳を済ませていた。だが、実際のところ「とんでもない」ことを話しているとしか思えなかったが、今須藤がいるこの世界自体が「とんでもない」所のように思えるので、きっとこの女性の言葉はここでは普通のことなのであろうという感覚が何処かにあった。
「と言っても、私は神や仏なんかじゃないわ。ただのこの世界の住人の一人。でも、一部の人は私のように、この世界の理を知っている。何故かは分からないけど、きっと中途転生者を導くためにこの世界が用意した存在なのかもしれないわね。私はそのうちの一人。この世界を保つためのスタッフみたいなものかしらね」
 クミコはまた笑った。本当にころころとよく笑う女性だ。しかもほっとさせられる笑顔である。須藤は少しばかり安堵の気持ちになれた。
「ここは……ここはやっぱり、その……」
 須藤は確信が欲しくてクミコに質問をしたかったのだが、妙なためらいが心の中にあって、言葉がなかなかうまく出てこない。その様子を見て、クミコは更に笑った。
「そうよ。信じられないかもしれないけど、ここは貴方達の世界の人が言う『あの世』。『来世』、『アフターワールド』、まあ、呼び方は様々あるみたいだけど。でもここは決して、花が咲き乱れる天国ではないの。環境こそ違えど、貴方達の住む世界とほぼ同じよ。ここで人は新たに生まれて、子供として生活を送って、学校に行って、友達を作って、そしていずれは恋人と出会い、結婚して温かい家族を持って、働いて、子供の世話をして……そう、暮らし方は全く一緒よ。ここで命を全うした後は、再び貴方達の言う現世へと生まれ変わる。やたらに美化された印象は、死を恐れる人達が生み出したものでしかないの。それに、こんな世界が待っているとすれば、中には『面白くない』『何の希望もない』って思う人もいるでしょうしね。でもそれでいいと思う。来世のことなんて知らないほうがいいし、信じられないならそれでもいい。そのほうが今生きる命を精一杯全うしようという思いになれるのだから」
 クミコの話す内容に須藤は共感を持って聞くことが出来た。未来はこうなっているという風に信じることは自由だ。信じていることが出来るからこそ踏ん張ることが出来る。先が分からないというのではなく、分からないからこそ、こう信じたい、こうありたいと思うことが出来、それを目標に、夢に、人は前に進むことが出来る。
 未知の先に何があるのかが分かった時点で、知った時点で、最初のうちはいいだろうが、やがて人は確定された未来のためにわざわざ努力するなんて無駄だと思うだろう。どう頑張ろうと、またどう怠けようと、未来は確定されているのだから。確定された内容を知ってしまっているのだから。
 それが人生の終焉とその先に広がる「何か」に対しても、やはり同じである。
「でも、貴方はまだその命を全うしたわけじゃあない。本来ならここには存在し得ない人なのよ。どうして……何故ここに来たのかしらね」
「息子を取り戻しに来ました」
「息子さんを? 息子さんは、その……亡くなられたの?」
「いいえ。死んでなんかいません。しっかり生きています」
「宜しければ事情を教えてくださる?」
 クミコの顔から笑みが消え、神妙な顔立ちになった。 
 須藤は話した。自分の知りえることを、見たことを、会った者達を、伝えられること全てをクミコに話した。
 傍で話を聞いていた澤渡は、まるで信じられないという表情を浮かべながらも、息子の啓吾を連れ去ったという存在の話に顔色を変えた。
「まさか……クミコ、それって……」
 澤渡はクミコの顔を見つめた。クミコは大きな吐息を一つ漏らした。
「分からないわ、まだ確定出来る段階じゃないけど」
 そう言うと、クミコはカップの傍に置いてあった小箱の蓋を開け、中から一本の煙草を取り出すと口に運び、火を灯した。白い煙が静かに立ち上る。
 澤渡が言葉を続ける。
「だが、レグヌム・プリンキピスの部隊が向こうの世界に行ったって話は本当だった。そして一樹がここに来た。あそこの女王が危惧していたことは……」
 クミコが返した。
「それがタナトスやその下僕のセンチュリオンであるという確証はまだない。『まだ』と言うだけで、『違う』とは言っていない。でも、彼等は元々存在しているものでもあるの」
 須藤は聞き慣れない名前のせいで、二人の会話の内容が理解出来なかった。
「あの、何ですか、それは……」
 クミコは須藤の顔に視線を戻した。
「ああ、タナトスとセンチュリオン?」
「ええ、タナトスというのは聞いたことはあります」
「え? そうなの?」
 須藤は以前に心理学について興味や関心があった頃があり、それを学ぶ過程でタナトスの呼称を知ったのだ。元々はギリシャ神話に出てくる神であり、それがフロイトの精神分析論を学ぶ途中で「自己破壊欲動」「死への欲動」と言うものに宛てられた名称として、タナトスなる名前を覚えたのであった。
「そうね。私も昔、勿論、貴方のいた世界で生活していた頃の話だけど、同じ意味合いでタナトスの名前を聞いたことがあるわ」
「でもセンチュリオンと言うのは……」
 クミコは再び息を吐いた。白い煙が勢いよく口から噴き出されてくる。
「センチュリオンと言うのは、タナトスが率いる軍勢の中で、それらを統率するリーダー格みたいなもの。『百人隊長』とも言うかしらね。ただ、ここで言うタナトスは、いわば『俗的な呼称』ね。本当の名前は分からない。強いて言えば『虚無神』とでも言う存在よ。そしてセンチュリオンや、そのセンチュリオンの指揮の下で蠢く軍勢、彼等は『人の負の思念』なの」
「負の思念?」
「ええ。私達、私やユタ、一緒にいたメイスもそう。この世界で生まれ生きる者達は、貴方から見れば『思念体』よ。貴方と肉体の構成が違うと言うのは、そう言うことなの。構成する分子構造、そしてその分子を構成する原子、中性子、電子、クォーク……それそのものが違うのかもしれない。そこまでは分からないわ。私は科学者じゃないから。魂っていうのは思念体、精神の力が具現化したものなの」
 須藤は息を呑んだ。
「ここは貴方の生きる世界の人達の心、その心の姿が反映した世界なのよ。この世界は、そう言う意味合いでは『リフレクト・ワールド』と呼ぶことも出来る。貴方達の心が優しさや思いやり、慈しむ気持ち、可能性や希望を信じる気持ち、様々な『正』の心、『陽』の心に溢れれば、そのまま希望や慈愛に溢れた力がこの世界に川のように流れ込んでくる。逆に、人の心が荒んでくれば、その『負』の力もまたそのまま流れ込む。そして、この世界に住む人達の心の姿もまた、貴方の住む世界へと反映されていく。そうした循環、輪廻が延々と繰り返されているのよ。そんな中で、人の負の思念が生み出したものがセンチュリオンのような黒き思念の凝集体よ。彼等は破滅を目論む存在なの。全てを破壊し、抹消し、全てを無にしようと蠢く存在。夢も希望も、可能性や愛情、そうした『正』『陽』のものを消してしまおうと願う者達」
「良き気を消そうとする存在……と言うことですか?」
 須藤の問い掛けに対し、クミコは黙って頷いた。
 良き気は伝染する。良い気、プラスの気を持つ者の周りには、同じように良い気、プラスの力を持つ者が集まってくる。逆に負の気を纏った者、マイナスの気に満たされた者には、同じような者しか集まらない。マイナス思念の持ち主の傍にプラス思念の者は基本的に寄り付こうとしない。その反対も然りである。心理学では「情動感染」という用語があるくらいで、これは精神論だけで片付けられる程度のものではないのだ。そのマイナス思念がプラス思念を消そうと動いている……?
「しかし、近衛騎士団とはぐれて下り立った所がこのアグゲリスとは……また厄介な話ね」
「どう言うことです?」
「ここは、俺やメイスのような中途転生者に対しての迫害が強いんだよ。俺達は、そんな国の政策に反対して、今はレジスタンスを結成している。中途転生者を連中の手から……政府の連中から保護し、守り、無事に安心して生活する権利を勝ち取るために戦っているんだ」
 澤渡が低い声で、しかし力強く言った。
 須藤はラムジャプールの駅で殴られたことを思い出した。だからあんな目に遭ったのか。自分を中途転生者と思い込んだ彼等が……

 その時、外で大声が聞こえた。メイスの声だ。
「ユターーーーッ!」
 澤渡は席を立つと、窓のほうへ歩み寄った。
「メイス! どうした?」
「あれを!あれを見て!」
 メイスは空を指差している。その方向を見ると、一隻の飛行船が黒煙を上げながら急速に高度を下ろしている姿が目に入ってきた。
「ありゃあ……大公妃の専用船じゃないか! 後ろで砲撃を仕掛けているのは政府軍だと?」

 フィリエラ大公妃専用船はアタワ村の郊外に墜落し、火柱を上空目掛けて噴き上げた。

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