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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第三部 第八章 一条の希望

 ←第三部 第七章 腐界の森のスペルビア 【後編】 →第三部 第九章 “The Reflected World”
 香ばしい芳香が室内に漂う。光度の低い、落ち着いたオレンジ色の灯りで照らされている居間の雰囲気には、そんな香りが実に上手い具合に融合してくれる。鼻腔を撫でるようにくすぐる、少し癖のある香り。まるでナツメグとシナモンを入れたコーヒーを彷彿とさせる。少し高めの天井を持つ、そんな居間の中央の床には、色褪せた厚地の絨毯が敷かれ、壁際には背の低い横長の棚が二つ、並べて置かれている。その脇に窓があり、そのすぐ傍に置かれた小さな丸テーブルの上で香は焚かれている。室内に漂う香りの元の香炉がある。そして、その香炉からゆらゆらとくゆらせている、おぼろげな煙のすぐ向こうで一人、ネマはカップの中の茶を静かに口に含ませていた。
 背が低く、そして些か小太り気味の体型のネマは、頭に巻いていた埃除けのスカーフを下ろした。上で巻き纏めた髪が姿を現す。輝きを失くした白髪混じりの甘茶色の髪に白い肌、目尻に浮く皺が目立つ。ふっくらした顔立ちのネマは、しばらくじっと窓の外を見詰めている。その両眼は何かを待ちわびているような、そしてその対象がもうじき目の前に現れることを知っているような、期待を含んだ光と、それと相反する、何処となく不安気な憂いを併せ持っているようだ。
 外はもう夜だ。窓に映るのは室内のオレンジ色の灯りと、それに照らされた室内、そしてネマ自身の顔だ。じっとそれをネマは見詰めていたのだが、ふと視線を棚に並ぶ写真立てへと移した。そこにはネマの家族が写っている……いや、ネマ自身とその息子が写っている。幼き息子の姿とまだ若かりし頃のネマ。成長していく息子の複数の写真に、友人達に囲まれたネマの写真。だが、そこにネマの夫であり、息子の父となる者の姿はない。ネマは息子を女手一つで育て上げていた。その息子ももう成人して幾年かが経っている。今は首都となるエリュシネにいる息子。女王陛下を護りし空間近衛騎士団に属する誇り高き息子。その息子が半年ぶりに帰ってくるのだ。明日の早朝、三日程度の休暇ではあるが、ここに息子は帰ってくる。ネマはその里帰りを心待ちにしているのだ。
 そうとなると、併せ持った憂いとは何なのか。ネマの心の片隅に居着いて離れない陰なる思い。息子は自分の父を知らない。自分とその母たるネマの元を去っていった父を知らない。息子には父が死んだと聞かせていた。だが、父は生きている。父たる者は息子と同じくしてエリュシネにいる。そして父は息子のすぐ傍にいる。
 玄関の扉を叩く軽い音がした。
「誰かしら?」
 ネマは呟くと椅子からゆっくりと腰を上げ、扉のほうへと歩いて行った。そして声を掛ける。
「どちら様?」
 すると、扉の向こうから聞いたことのあるような声がした。
「こんばんは」
 ネマの表情に少し驚いた色が浮かぶ。間違いない。あの子だ。
 ネマはおもむろに扉を開けた。
 玄関のポーチに三人の少年達と、一匹の猫が二本足で立っていた。
「すみません、おばさま」
「あらあら……貴女、まだこの辺にいたの?」
 ネマは、申し訳なさげな表情を浮かべて立っている、ビストリアンのココに声を掛けた。

「国を……あ、家を出て、ずっと歩いて旅をし始めて……色々あって疲れちゃってさ。この村の通りの片隅に座って休んでいたの。お腹も空いてて。みんな、私のことを変な目で見ていたっけ。こんな所にビストリアンの子供がいるって感じでさ。でも、その時このお婆さんが……あ、失礼、『おばさま』が声を掛けてくれて……」
「いいわよ、お婆さんで。貴方達からしたら私もそんな歳なんだから」
 ココの言葉にネマは笑って返すと、奥の台所へと入っていった。食欲をそそらせる香りが流れてくる。だが、三人の少年達にとっては、先程まで焚かれていた香の嗅ぎ慣れない風変りなスパイスのような香りの中に混じって、そんな食べ物の香りが鼻をくすぐり出すわけなので、三人は何とも微妙な表情を浮かべていた。ココだけが涼しい顔をしている。
「貴方達、この香り……ひょっとして苦手? 難しい顔しているけど」
「んーー……っ」
 フスハが何とも表現し難い声を漏らした。
「私は好きよ。ビストラチャテッラってお香の香り。私の国にもあるわ。でもお香にするよりは、干した葉や花を刻んでお菓子に焼き込んだりするんだけど」
「んーーーー……っ!」
 フスハに続いて、レンも一際難解な表情をしている。啓吾も例外ではなく、あまり得意としない香りのせいで、少し眉間に皺を寄せている。似たような記憶がある事を啓吾は思い出していた。以前、心を落ち着かせるにはいいとか何とかと言う理由だったか、父の須藤が一度、職場の女性スタッフと共に参加したフラワーアレンジメントの体験会であしらった物を持って帰ってきた日のことだ。些かけれんの濃い具合に仕上がった花々が、濃緑色をした紙粘土状の土台に突き刺されて、深鉢の皿のような容器に飾られており、それが玄関先の下駄箱の上にどっかと置かれていたのだ。そして、
「きれいだろ? 香りを嗅いでごらん」
と笑みを浮かべる父に言われるがまま、鼻を近付けて思い切り息を吸い込んだ啓吾は、父にこう返したのだった。
「くさあい!」
 その時、父は声を上げて笑っていたが、あの香り、いや匂いはあの頃からどうにも鼻から離れそうにない感覚を持っていた。その記憶は今、この異世界にて初めて嗅いだビストラ何とかと言う代物の香りで以って、見事に塗り替えられた。
 ぶっちゃけた話、臭い。
 そのうちにネマが両手鍋を持って奥から出て来た。
「夜の市で買い物をするつもりだったから、何もないの。残り物でごめんなさい。裏の畑で採れた野菜と香草なんかでしか作らなかったから、お口に合うか心配だわ」
 笑顔ではあったが、ネマはそう申し訳なさそうに言って、鍋をテーブルの脇にあった小さな台の上に置き、皿にそれぞれの分を取り分けた。ニンニクとセージ、ローズマリーのような芳香と共に、じっくりと煮込まれた干し肉の旨そうな香りが漂う。
「ありがとうございます、お婆さん。ごめんなさいね、またこうやって押し掛けて来た上にお夕飯まで……」
 ココが言うと、ネマは明るい声で返す。
「いいのよ、私、一人暮らしだし、お客様は大歓迎」
 皮の剥かれた芋のような小振りの塊と、崩れるまでに柔らかく煮込まれた干し肉、そして刻まれた香草が散らされた白いスープが、皿の上で湯気を立てている。レンとフスハは普通にスープを口に運び出したが、啓吾はどうにもスプーンを持つ手が動かせない。この世界に来て初めての「口に合わないもの」との遭遇であった。肉はマトンのような癖があり、それが慣れない香草のトイレ洗剤に似ているとしか思えない香りとの妙な相乗効果で、啓吾の食欲をものの見事に削ぎ落とす。だが、食べないのも申し訳ないし、好き嫌いなど言っていられる余裕もない、そう啓吾は子供なりに思い、敢えてスプーンでスープを口に運ぶようにした。二重の臭みが口の中から鼻腔へと突き上がってくる。今後、ひょっともすれば啓吾はイタリア料理や、不味いと評判だったイギリス料理(最近は味の評価は一般的に上がってきている。だが、茹で過ぎか揚げ過ぎの野菜に肉だけと言われた頃から、今では闇雲にハーブを使いたがる風潮に変わってきているらしい)が苦手になるのかもしれない。アジアンエスニック料理ともなればもってのほか、と言う具合になるのだろうか。
「お婆さん、実はご相談があって……こうしてまたお邪魔させて戴いたんです」
 ココがネマに話し掛ける。
「相談?」
「ええ。お婆さん、前に私がお邪魔した時に話してくださいましたでしょう? 息子さんのこと」
「ああ、シュナのこと?」

   ※ ※ ※ ※ ※

「あの小娘と言い、人間の糞ガキと言い、本当忌々しい!」
 小型犬テリアの顔立ちそっくりのビストリアン、イドアとその仲間達五名はシナスタジア領内に戻っていた。レグヌム・プリンキピスとの国境に近い詰所である。エワンジェリスタから一度撤退したココの追跡隊である彼等は、次にグリフィスによる部隊編成に組み直し、出発しようとしている所であった。
「次にあいつ等、あの人間のガキどもを見付けたら、どうしてやりましょう?」
 イドアに話し掛けたビストリアンはまさにマルチーズそっくりだが、目付きがあまりにも野蛮過ぎる。
「どうもこうもあるか! また邪魔するようなら、痛い目に遭わせてやるだけだ!」
 イドアは吐き捨てるように返事をした。
 そこに別の影がゆらりと現れた。
「お邪魔するよ」
「これは……シャクルス様!」
 黒と銀のツートン色の毛並みを優雅に揺らしつつ、ボルゾイ似のビストリアン、シナスタジア王国政府資源省代表のシャクルスが、ゆっくりと歩み出る。
「何だい? 姫君はまだお戻りではないのかい?」
 シャクルスは周りをぐるりと見回し、腰に手を当ててイドアに問い掛けた。
「はっ……も、申し訳ありません!」
「まあいいさ。失敗したって、そこから何かを学び取って糧にすることが出来れば、それはもう失敗とは呼ばないってものさ」
「シャクルス様……」
「でも、ねえ君、それも出来ないような用無しに君自身が成り下がってしまうのなら、それなりの代償を僕は君に求めなきゃいけなくなる」
 流し目でイドアを睨み付けながら、そう言い終わった瞬間、シャクルスは腰に下げていたサーベルを瞬時に抜き、その切先をイドアの喉元に突き当てていた。
「あ…………!」
 鞭のようによくしなる柔らかい刃ではあるが、その刀身の切れ味はあまりにも鋭利で、間近で切先を翻すだけで、空気と共にイドアの白い体毛までをも切り落としてしまう。白い毛の束がゆっくりと床に落ちていく。
「用無しは口封じに消す、そんな愚鈍な真似を僕にさせないで欲しいな、君?」
「か、かしこまりました……次は、次こそは必ず、あの小娘を……」
 イドアが絶え絶えな声で言う。シャクルスはサーベルを鞘にしまうと、薄ら笑いを浮かべた。
「君、勘違いしているね?」
「勘違い……ですか?」
「あの姫君は次期国王、女王になるべきお方だ。そんな失礼な物言いは止めなさい」
 イドアが唖然とした表情になった。
「次期国王は……あの、シャクルス様では?」
「僕が? 国王? まさか。今この時において、王になるべきは僕じゃあない」
 シャクルスはにたりとした笑いを抑え、冷静な表情へと戻った。
「この国ではもう、あんな堅物の保守的な王の元では、進展は望めないからね。もっと若くて、行動力があり、敵たる者への歩み寄りを行わんとする高尚な心を持つココ様が一番なんだ」
「え?」
「そしていずれは子を宿し、母となる……これからの時代はそんな女性が治めるべきだと、僕は思うんだよ」
 イドア含め五名のビストリアンは、シャクルスのこの言葉を呆然としながら聞いていた。
「シナスタジアの次なる治世、新たなる第一歩は君等の功績に掛かっているんだ。しっかりやって欲しい。本当はね、僕は君等にも期待しているんだからさ」
「は……はっ!」
 五名が敬礼する中、ゆっくりとシャクルスは詰所を出て行った。
「何故シャクルス様は……我等にあのような話を?」
 マルチーズ似のビストリアンが呟くのをイドアは遮った。
「そんなことはいい! 我々は今やるべきことをやるのみだ! シャクルス様が我々に期待してくださるのなら、ああして御心の内を話してくださるのなら、我々はそれに応じねばならん! 行くぞ!」
 イドア達は各々、漆黒の羽色のグリフィスに跨ると、一斉に夜空へと飛び立って行った。

   ※ ※ ※ ※ ※

「そう……貴方がケイゴね。女王陛下からのお触れは全国的に出ているから、貴方のことは聞いていますよ」
「全国的に……って? ケイゴ、お前本当に何をやらかしたんだ?」
 ネマの言葉に驚いた表情を見せたフスハは、啓吾の顔をまじまじと見ながら訊いた。
「知らないって、そんなの……それに、ここの女王様なんて僕知らないし、会ったこともないんだ!」
 ネマが続ける。
「貴方と、貴方のお父様を陛下は捜しておられるの。王都までお連れするために連絡をするようにって」
 啓吾の目が大きく開かれる。
「パパ……も? パパのことも捜してるの?」
 想像もしていなかったことを告げられ、啓吾は思わず大声を上げた。胸が激しく脈打っている。
「ええ。お触書ならあるわ」
 ネマは立ち上がり、棚のほうへ歩み寄ると、一枚の紙を手にして戻ってきた。
「DECRETUM(布告)」
 その中身は疑似ラテン語で書かれているため、啓吾には理解出来ない。ネマに手渡された髪をフスハに渡すと、
「ごめん……フスハ君、読んでくれる?」
と恥ずかしげに頼んだ。
「え? ああ……」

「布告

当レグヌム・プリンキピス王政連合政府並びに空間近衛騎士団本部は現在、二名の人物を目下のところ捜索中である。
両名は父親とその息子ではあるが、共に行動している確証はない。また、国内のどのあたりにいるのかも不明である。
両名共に黒い髪に黒と茶褐色の瞳を持っている以外に目立つ身体的特徴はない。父親は比較的小柄(推定身長及び体重不明)である。また、息子は推定五~十歳頃と思われる。

父親氏名:カズキ・スドー
息子氏名:ケイゴ・スドー

両名とも、我等が女王陛下アフェクシア一世にして先陣を切りし特捜部における、最重要捜索対象人物であるが故、発見した者は直ちに最寄りの治安維持局分署または空間近衛騎士団支部局まで通報されたし。
尚、両名(若しくは何れかの一名)発見者並びに最有力情報提供者へは、当機関の検討の上にて、女王陛下よりの褒賞を渡さんとする。

王歴年、一一九五七
イウリア、二十一之日

レグヌム・プリンキピス王政連合首長国政府
女王 アフェクシア一世
空間近衛騎士団総隊長・総司令官 グランシュ・エフェスス・レパミンドス
国内外安全保障・治安維持部代表 カクトゥス・コラリオヌス・ビルギリウス」

「……兄さん、何だかよく分かんない」
 レンがむすりとした表情で言った。フスハも些か首を傾げている。啓吾のことについては実はあまりよく知らないことからの興味と関心が、その文面に何が記されているかに二人を釘付けにしたのだ。だが、子供にとっては難解な(お堅い)文章であった。
「でも、最後に書いてあったけど、ケイゴを見付けた人には女王からのご褒美があるってことよね? 何だかケイゴ、賞金首みたい」
 ココの言葉に啓吾は眉をひそめた。
 だが間違いない。この世界に父がいる。父が来ている。そして、自分のことを捜している。
 啓吾と父は今、同じ空の下にいる。
「パパ……パパ!」
 啓吾は喜びのあまりに声を漏らした。涙が一筋流れ、頬を伝っていく。
 ネマが微笑んで言う。
「そういうことだったら丁度いいわ。明日の朝、空間近衛騎士団の息子が帰ってくるわ。名前はシュナ。あの子に全てを委ねましょう。すぐにでも貴方を王都まで連れてってあげられるわ。だから……今夜はゆっくりお休みなさい」

 少年の心に希望の光が差し込んだ。この先どうなるか分からない、未知と不安で覆い尽くされた途上にて、頭の上に広がる漆黒の雲は今切り開かれ、白い光が目の前を道を照らし出した。


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