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リフレクト・ワールド(The Reflected World)

第二部 第四十四章 両翼の騒乱 【6】

 ←第二部 第四十三章 両翼の騒乱 【5】 →第二部 第四十五章 「私、信じてます」
 JR東京駅で件の新幹線の事故の一報を知り、伊勢谷は多々良に連絡を取ろうとした。だが、多々良は電話に出ない。紫雲とも連絡が付かない。そこに新宿歌舞伎町で発生している出来事を重ねて知り、慌てるように伊勢谷は車を走らせた。都心環状線から高速四号新宿線に入ろうと考えていたが、車が思うように進まない。大手町界隈からどうにも抜け出せないのだ。街中を走る車の流れが妙だ。例の騒ぎのせいで、各所で渋滞が起こっているようだ。
「ちっ……連中、俺達を足止めさせる気か!」
 伊勢谷は苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
 その伊勢谷の目の前を、黒い飛行機雲のようなものが何本も上空を新宿方面に向けて流れていく。ものによっては、かなりの低空を、建築物の合間をすり抜けるようにして飛んでいくものさえある。それは異物とは異なる、この世界に残りし亡者の、または生ける者の持つ「負の思念」そのものであった。
「くそっ!」
 額に汗が滲む。伊勢谷は急遽、傍に立つビルの地下駐車場へと車を滑り込ませた。そして車を停めると、伊勢谷はその中で数枚の白い紙を手に取り、筆ペンで何やら経文らしきものを書き殴って、そのまま印を結んだ。
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す! 伊勢谷公博、神仏の御力を賜る!」
 紙はその場でうねうねと蠢いて形を変え、数秒後には白き「八咫烏(やたがらす)」の姿になった。「式神」である。
「新宿に向かいしあの黒き流れを断て!」
 伊勢谷がそう言い終わった途端、「八咫烏」達は音もなく羽ばたき、車の窓から飛び出すと、地下駐車場の出口へと一目散に飛んでいった。
「こんな所で……一人黙々と敵の増援を叩く羽目になるとはな……ちっ!」
 皇居外苑傍の上空で、多くの都民の目に映ることのない、負の残留思念と白き「式神」との防衛戦が開始された。

 アウグストは銃を構え、再び「抑圧」に向け銃弾を発射した。しかし、銃弾はやはり「抑圧」が支配するモイールの身体には届かず、弾は蒸発するように消滅した。
「あの者を殺す気か、そなたは?」
 トルソが叫ぶ。
「あれはモイール・ドニゴールと言う女の思念が呼び起こしたものだろう! ならば、本体であるモイールを撃つ!」
「そなたの仲間であろう?」
「私に仲間はいない! あるのは唯一絶対的なる神への信仰のみ!」
 二本の「鞭」となった「抑圧」の両腕が二人を交互に襲い、打ち当たった路面のアスファルトを抉り抜く。
「ならば、そなたの神はそのようなことを許すのか?」
「貴様とここで神の教えについて議論するつもりはない!」
「聞け! あの黒き者は人の負の心を糧とする! 敵意、怒り、恨み、全ての負の思いが奴の糧となるのだ! そんな思いのままでは、奴には手出しさえ叶わぬぞ!」
「戯(ざ)れたことを!」
 アウグストはそう吐き捨て、うなる黒色の「鞭」をかいくぐりながら、モイール目掛けて突進を掛けた。その手にはオリハルコンで出来た古代の短剣が握られている。
「お前も私を受け入れぬ! 皆、私を毛嫌いし、拒絶する!」
 金切り声にも似た「抑圧」の叫びが響く。
「せめて神の元に召されることを祈ろう、モイール・ドニゴール!」
 短剣を握り締めたアウグストは、「抑圧」の打撃をかわしつつ、モイールへと肉迫した。
 その時、「抑圧」の黒き本体はモイールの体を離れ、歌舞伎町上空へと舞い上がった。アウグストの短剣はそのまま、その場に残ったモイールの心臓を貫く。
 モイールの両手がアウグストの両肩を掴む。
「誰からも……愛されず……」
 モイールは両目をかっと見開き、口を最大限に開きつつも、今にも消え入りそうな声でこう言い残した。
「誰も……愛……さ……ず……」
 モイールは絶命した。その体はぐにゃりと前屈し、路面へと崩れ落ちた。
 その両目からは涙が流れていた。
 冷徹さの塊であったアウグストの心の内に不快感がよぎる。
「誰からも愛されず! 誰も愛さず!」
 不定型なままの姿で、「抑圧」は一気に地上へ降下し、何本もの黒き「触手」をうねらせて、トルソの足元を弾く。
「それでも堪え!」
「抑圧」は叫ぶ。
「己の叶わぬ思いを内に抑え! それでも懸命に生きようと足掻き!」
 複数の「触手」は長き「針」へと姿を変え、トルソとアウグスト各々に向け射出された。トルソはそれを剣で弾き返し、アウグストは横へと飛び退きながら避けた。
「ただ一人の人間として普通に暮らしたかっただけなのに! 過剰なる幸福を求めることもせず! そうやってこれまで来た道程を貴様達は否定するのか! 受け入れず、尚も私を排除するのか!」
 嘆きにも似た「抑圧」の叫びは尚も辺りに響き渡る。
「許せない! 私は私以外の存在が疎ましい! 私は認めない! 私を認めぬ者を私もまた認めない!」
 トルソは悟った。この「抑圧」なる存在の礎は、モイール・ドニゴールと言う一人の女性の心の叫びだと。
「止めろ!」
 トルソは叫んだ。
「これが本当に貴様の求めることなのか! 他者を傷付けることが貴様の真の願いか! 呪詛を吐き出し、己を落とし込むことが貴様の願いなのか!」
「知ったような口を叩くな!」
 不定型だった「抑圧」の本体は平たい円状となり、今度は高速で回転しつつ、トルソ目掛けて飛び込んでくる。それを弾き返すトルソの剣から火花が散った。「抑圧」の本体は、周囲の建築物の壁を深く切り付けながら上空へと上がり、そして再び降下を始めた。何本もの電柱が切断されて倒れ、路面で淡いオレンジ色の火花を激しくスパークさせる。または駐車してあった車両の上に倒れ掛かり、その屋根をひしゃぎ、ガラスの破片を周囲に飛び散らせた。
「お前が言うのか、金色の雑兵よ!」
 恨み辛みに似た「抑圧」の呪詛は続く。
「分かるぞ……お前も自身の『思い』を封じ、押し殺して生きている者だろうが!」
 トルソの表情に一瞬、歪みが表れた。
「中途転生者として生きるお前……己自身を『罪深き者』として生きるお前も……私と同じであろうが!」
「抑圧」の本体は分散し、今度は何羽もの「烏」となり、トルソの頭上に襲い掛かった。
「その口を閉じろ、モイール!」
 アウグストが吼える。
「お前の泣き言など、誰も興味はない!」
「パラディン……くだらぬ権力の傀儡となりし存在が言うことか!」
 黒き「烏」はアウグストのほうへも向かう。
 頭上の「烏」を剣でなぎ払ったトルソは、アウグストの元へ駆け寄り、同様にして「烏」を蹴散らした。トルソはアウグストの傍に立ち、剣を構えた体勢で言った。
「……そうだ、私も私自身の『罪』を抱え、そして今に至るまで己の人生を歩んできている。だからこそ分かることもある!」
 複数の「烏」となっていた「抑圧」の本体は再び一つに結集し、その目まぐるしく変化させていた姿を一つの人型に変えた。モイールそっくりの「顔」がそこに浮かび上がる。しかし、その両の眼窩にはぽっかりと暗き穴があるのみだ。
 トルソは続ける。
「黙って堪えているのが一番苦しい……盛んに呻いて、叫んで、泣いて……そうすれば苦痛は少しは和らぐ。そうすることも大事だ。だが、何時までもそのままではらちが明かない」
 人型となった「抑圧」は、音もなく地上へと下り立つ。
「幸せになる機会、その節目となる一瞬……それを掴みとるだけでは成功とも幸福になったとも言えない時がある。私はそんな機会を失った。絶望のどん底まで落ち、それを知った……そして長い回り道をした……だからこそ、人として得たものがあると信じている。己にふさわしい一瞬を、その時が来るまで……朝が来るまで、ひたすら堪え、待つと言うことも時には大切であろう……」
「世迷言を!」
「貴様は『抑圧』と名乗ったな……貴様達の名はその持つ心の叫びをそのまま名にしているのだろう……貴様は言っていたな、自分の叶わぬ思いを内に堪え、抑え、それでも懸命に生きようとしたと。一人の人として普通に暮らしたかっただけだと……しかし、周りは貴様のことを認めなかった、否定していると」
 トルソは構えていた剣を下ろした。アウグストはそれを信じられないと言いたげな表情で見やった。
「自身がこれまで歩んできた道程を根底から否定することにもなりかねない、そうすれば自身の心が崩れそうになる……だが、それを恐れているうちは何も前へ進まぬ……」
「何を……言っている!」
「貴様は周囲に対してだけでなく、己自身に対して敵意を持つようになっていたのではないか?」
 トルソの口調は、威嚇めいたものから語り掛けるように変わっていた。
「はっ! 笑わせてくれる! だったら何だというのだ! 周りは最初から敵だった! 己を抑え、堪え、しかし何をしても結局周りには敵しかいなかった! だから私は敵を殲滅してきた! 以前も、今も、そしてこれからもだ!」
「何を言っているのだ……?」
 トルソの表情が歪む。
 その時、アウグストがトルソに伝えた。
「モイールは……かつて自分を追い込んだ者達を皆殺しにした過去がある」
「何と……」
 トルソは俯き、しかしすぐに顔を上げ、「抑圧」に語り掛けた。
「貴様はそんな敵を許さなかったのか……そして今は、周囲の敵とする存在に対してだけではなく、自身に対しても許せないでいるのだろう?」
「何?」
「抑圧」の声のトーンが落ちた。
「弱い者ほど相手を許せないでいる。許すと言うことは強さの証だ」
「ならば、お前はお前自身を許せているのか、『罪人』よ?」
 冷たく「抑圧」は言い放った。
「いや……だからこそ苦しい。この苦しみは私なりの贖罪であると思っている」
「笑わせてくれるわ、雑兵が!」
 吐き捨てるように「抑圧」は言った。しかし「抑圧」はトルソに手を出さず、そのままの体勢でトルソとアウグストを傍観している。
「だからこそ……そんな私だからこそ……似た苦しみを持つ者には救われて貰いたいと願っているのだ……」
「傲慢だな」
「かも知れぬ。そんな苦しみに喘ぐ貴様にとっては、全てが禍いに映るであろうだが、それは当然でもある」

「心暗き時は、即ち遇うところことごとく禍也。」
 空海が言っている。心が沈んでいる時は、目に映るもの、周囲のもの、自身に起こる出来事全てが悪く感じ取られる。悪く捉えがちになる。しかし、そんな時に全てが幸福に満ちた薔薇色に見えることなどあり得ない。そんな風に見えるとすれば、却っておかしいものなのだ。そんな状況にあっては、全てが禍いとして映っても当然であり、極めて正常な心の反応だ。そのことを咎めたり、自分は病んでいると思う必要はない。それをあるがままのものとして捉えれば良い。そんな自分をそのまま受け入れ、自分を否定する自身の心を「許して」やれば良い。

「周りを許し、自身を許してさえいれば、貴様が今抱えている地獄の苦しみも和らげられるのだ……」
「……言いたいことはそれだけか?」
 そう言うと、「抑圧」はぶるりと身震いをした。その直後、「抑圧」の全身から何本もの黒く鋭い「槍」がトルソ目掛けて射出された。
 だが、トルソはそれを避けようとしなかった。目を見開き、「抑圧」を見据えている。
 咄嗟に、アウグストがトルソの腕を強引に引っ張り、その場を離れさせた。「槍」は背後の店舗の自動ドアを粉々に粉砕した。ガラスの割れる激しい音が二人の耳をつんざく。
「何をやっている! 気でも違ったのか!」
 アウグストが大声で言うが、トルソはそれに対して一言も返さなかった。
「お前の言葉、お前自身を慰めるためのものにも聞こえるぞ、雑兵?」
 くぐもった「抑圧」の言葉が響く。
「私と似た苦しみを持つ貴様に……私は分かって貰いたいだけだ。もうこんなことは止めるのだ。いくら周囲に貴様の苦しみを暴力で以ってぶつけても、周りは貴様を受け入れはしない。敵意では誰も答えてはくれぬ!」
 トルソは叫んだ。
 モイールは決して「敵意」を捨てていなかった。外見だけを取り繕った姿勢で周囲に解け込もうとし、そして結局弾かれていた。周囲の者達に問題があったにせよ、そして仮に差別や偏見と言う後天的な障壁がなかったにせよ、そのような姿勢では結果は同じであったろう。
 そして、そのことはモイール自身も、「抑圧」と言う黒き異物になった今でも、分かっていた。頭では分かっていた。
 だからこそ、これ迄自身の不満や怒り、恨みや苦しみを頭ごなしに押し殺し、抑圧し、そのことを感じていないような振りを無理にして見せ、相手に対しては心を決して許さず、歩んできた道程を否定することが殊の外怖かった。
 自分のレゾンデートルが分からない。
「私は……普通の……穏やかな時を送りたかっただけなのに……願わくば……誰かを愛し、誰かに愛されたかっただけなのに……誰かを必要とし、必要とされたかった……それだけなのに……!」
「だから……パラディンになったと言うのか……それがお前の本心だったのか、モイール……」
 アウグストが呟くように言った。
「だが全ては戻らぬ」
「抑圧」の言葉に怒りと敵意がこれ迄以上にみなぎる。
「今更全ては変わらぬ! 何も! 最早変えようとも思わぬ!」
「止せ!」
 トルソが再び叫ぶ。
 しかし、その言葉は「抑圧」には届かない。
「大神タナトスなど……センチュリオンなど……私には関係ない! 全てを破壊してやる!」
「ならば、その刃、私に向けよ!」
 トルソの言葉に、再びアウグストは呆れたような表情になり、目を張ってトルソを見やった。
「……貴様が救われるならば、貴様の怒り、哀しみ、全てを私に向ければ良い。私も貴様と同じ『罪人』だ。私の想いは……私一人だけでは達せられぬが、仲間達がやり遂げてくれよう……」
「何……だと?」
「貴様の全てを! その苦痛を! さあ、私に向けて放つが良い!」
 トルソは剣を手から放し、両手を左右に大きく広げた。剣は路面に落ち、がちゃりと言う金属音を立てた。
「馬鹿な!」
 アウグストはトルソと「抑圧」を交互に見詰めた。
「……嘘だろ!」
 これ迄の光景を、何もできないままで短銃を構えていた多々良も、呆然とした表情でトルソを見詰めていた。
 アウグストがトルソの剣を拾おうとする。
「動くな!」
 鬼気迫る声でトルソがアウグストを一喝する。
「ふざけおって……今、お望み通りにお前を串刺しにしてくれる!」
 全身を一本の太く鋭利な「大剣」に変え、「抑圧」はトルソの胸目掛けて突進を掛けた。
「…………!」

 アウグストは呆然とした表情を崩せずにいた。鉄面皮なアウグストの表情が驚きに支配されている。多々良も口をあんぐりと開けたまま、目の前の光景を凝視していた。
 トルソの全身を白く穏やかな、それでいて力強い光が包み、それは胸の前数センチにまで切っ先を突き付けた「抑圧」の全身にも及んでいる。
「何故だ……?」
「抑圧」の声が響く。しかし、そこには最早、怒りや敵意が感じられない。
「何故……お前は……こうまでして……」
 トルソは穏やかに言った。
「私には、私を受け入れてくれた仲間がいる。私を信頼してくれる仲間がいる。己の罪を許せないでいる、こんな私にも……受け入れ、必要としてくれる者がいる……それは私の心に一条の光を射し込ませてくれる……『そなた』にもそんな光を感じて貰いたい。己が己自身に掛けた枷を……外して貰いたいのだ……もう十分に苦しんだのであろう? これ以上更に苦しみを上塗りする必要があるのか? いや、ない筈だ。己を追い込み、その辛さを他の者に転嫁して、他者も自身も双方とも苦しめる……そんなことまでして守るものなど何もない」
「ああ、この光は……」
 黒き「大剣」の姿が崩れ、そして一人の女性の姿へと「抑圧」は変化した。全身黒一色ではあっても、それが誰なのかがアウグストには分かっていた。
 黒きモイール・ドニゴールは地に膝を付き、トルソを見上げている。
「何と……心地良い光だ……私は……」
 モイールの姿が徐々に薄らいでくる。
「私は……何をしていたのだろう……」
「次に新たな生を迎えることになったら、次は……自身を許し、全てを許し、幸せになるが良い……そして、人の幸せを想うが良い。その努力は周りに必ず受け入れられる。それは即ち、そなたの幸せにも結び付く。必ず結び付く」
 静かに語り掛けるように、トルソは言った。
「……ありがとう……お前は……貴方は私は救ってくれた……」
 足元から上半身に掛け、「抑圧」の、いやモイール・ドニゴールの残留思念が消えていく。
「やっと……やっと……私は……!」
 最後の一声は「抑圧」としての聞き苦しいものではなく、モイール自身の、安堵に満ちた声であった。
 そして、モイールの残留思念は消えた。

 モイール・ドニゴールが心の奥底に抱いていたものは、姿形こそ変われど、結局は「甘え」だったのかもしれない。だが、この「甘え」と言うものを抑圧し過ぎると、相手に「こうして貰いたい」のだが、「こうされることが許せなく」なったりする。それは妙な回り道を辿って、不可解な理屈や理想、或いは正しさと言ったもので蓋をし、自身を守ろうとし始める。そうすれば、本音の気持ちを感じずに済むからだ。
 相手を攻撃し、相手から逃げ出し、相手を無視して気持ちを押し殺す。そのような者は、ひょっとすれば、本音を伝えたことで嫌な思いをしたことがきっかけになったのかもしれない。
 深く傷付くぐらいなら、本音を隠し、平気を装うほうがまだましだと思い、そう決めたのかもしれない。
 だが、そのようにして本音に蓋をし続けていると、本音が何なのかが本人にさえ分からなくなる。果たして、そうまでして守らねばならないものとは何であろうか。
 そうした偽りの姿勢で、仮に幸福を感じたとしても、それは結局偽りでしかない。外見は美麗でも、その中身は腐敗している。そんな偽りは自身をも、他者をも不幸へと誘うのだ。
 心の内に封印したものがあるのなら、それに気付かない、それを感じない、または正当化して装っているのなら(時には心を抑えねばならない時もあるが、抑えていることに気付かないことが問題である)、そうまでして守らねばならないものは、本当は何一つないことを知らねばならないだろう。そのままでは心に調和が取れないでいることに気付かなくてはならないだろう。 自身も周囲の者も傷付けるだけの結末で終わってしまうと言うことを認めねばならないであろう。
 全てを解決するキーワードは「許し」なのだ。

 トルソは言葉を漏らした。
「哀しきことだ……犠牲を払わねば達せられないのか……人の心は何処まで救われないままでいるのか……」

 次の瞬間、黒色のワンボックス車が二台、トルソとアウグストのいる通りになだれ込み、中から十人近くの武装兵が飛び出してきた。各々が手にライフル銃を持っている。
「Freeze! Don’t fuckin’ move! (動くな!)」
 トルソが彼等を睨み付ける。
「Warum sind sie hier……何故こんな所に米兵がいる!」
 アウグストが苦々しげに言った。
「おい! ちょっと……ちょっと待て!」
 二人が米兵に取り押さえられ、車内に連れ込まれようとしているその時に、慌てて走り寄った多々良だが、米兵の一人に銃口を向けられた。
「I’m Japanese police! What are you doing? (俺は日本の警察だ! 何をやってるんだ?)」
 多々良が息急くように言うと、その米兵は淡々とした口調で返した。
「This has not already been your business. (これはもうお前達の出る幕じゃない)」

 頭上を二機の軍用ヘリが慌ただしい羽音を立てて旋回している。


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